アメリカ便り青グラデーション

  「この子は誰の子ですか?」

 

    アメリカの夫婦別姓制度

 

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           写真:https://www.businessinsider.com

【蛇足的まえがき】

今回の衆院選挙で共産、立憲、社会党等の左翼政党はそろって「選択制夫婦別制度」の制度化を公約に掲げている。しかし、彼らは姓(かばね)と氏を混同している。「姓」とはかつて朝廷が各氏族や個人に与えた位であり、朝臣、宿祢がこれに当たった。ところが、姓ははや平安中期には位として廃止されていた。

現在我が国は民法750条に「夫婦は、婚姻の際に定めるところに従い、夫又は妻のを称する」とあるので、「夫婦別が正しい。何よりの証拠は、法務省が「選択的夫婦別氏」という表現を使っていることだ。当然、戸籍、住民票も姓名ではなく、氏名を使用している。

これだけの改革を提案するのに、間違った法律用語を振りかざすとは余りにも杜撰すぎないか。

しかし、「一犬虚に吠ゆれば万犬実を伝う」で政治家のみならず、マスコミも「夫婦別姓」を使用するので、不本意ながら小欄も仕方なく、この言い回しを使うことにする。

(テキサス無宿記)

 

 

これはテキサス・サンアントニオ空港で実際に起こった事件である。メキシコから米国に入国しようとした、乳飲み子を伴ったメキシコ女性が、入国審査官から「この子は誰の子ですか?」と訊かれた。

彼女はメキシコ旅券とグリーンカードの持主だったが、赤ん坊は米国旅券を持ち、二人の名字(Family name)が違うことに審査官は不審感を抱いたのである。

女性は「私の子です。何か問題ありますか?」と逆に流ちょうな英語で係官に質問した。

 

審査官は「あなたと赤ちゃんはなぜ名字が違うのですか。あなたはミセス・フアナ・ガルシア(仮名)だが、この子はジョンソン(仮名)です。だから、この子は誰の子ですか、と訊いているのです」と繰り返した。

ガルシアさんの「私の子ですよ」という返事に納得しない、審査官は「この子があなたの子であることを証明する書類を持っていますか」と訊いた。

 

米国は、結婚後も独身時代の名字を使い続ける女性が少数派ながら存在するが、ガルシアさんのケースは親子の国籍が異なるため、親権を証明する、出生証明書等の公文書の提示が求められたのである。

「持っていない」とのガルシアさんの返事に、審査官は「では、二次検査場に行ってください」と宣告した。

 

二次検査で同じ尋問が繰り返されたが話が長くなるので、結論を急ごう。

ガルシア夫人は彼女を空港に迎えに来ていた夫である、ジョンソンさんに、入国審査で子供の親について疑問がある、と言われているので子供の出生証明書と二人の結婚証明書を持ってきて欲しい、と携帯で頼んだ。一時間後、書類が着き、ガルシアさんが赤ちゃんの母親であることが証明された。こうし親子は無事入国が出来た。

 

ところで、入国審査官はガルシアさんに「赤ん坊を誘拐したのだろう」というような素振りは一切見せなかったが、そう思われても仕方がないケースではあった。メキシコを旅行中の米国人の赤ん坊が誘拐されて、米国で里子に出された事件があったのだ。

この後、彼女は子供を連れて米国を出国する際は子供の出生証明書と婚姻証明書を必ず持参している。なお、数年後、彼女は米国国籍を取得したが、名字はガルシアのままにしてある。理由は離婚した前夫と共に暮らす、彼女の二人の息子と同じ名字を維持したいから、とのことだった。

 

メキシコの法律では、女性は結婚しても独身のときの名字は残り、子供も父と母の両方の名字を名乗るのがスペイン植民地だった頃からの習慣である。ガルシアさんの場合はJuana  Garcia de Johnsonとなり(メキシコで婚姻届けを出せばだが)彼女の息子の名は、メキシコ風にJuan Johnson Garciaである。なお、彼女は米国人と結婚後も、夫の氏を名乗らずにフアナ・ガルシアで通した結果、今回のような問題が起こったのである。

 

 結婚後、70%が夫の名字を名乗る米国女性

米国社会は英国植民地時代からの慣例によって、女性は結婚すると、夫の名字を名乗るのが一般的である。婚姻証明書の申請は法廷まで行く必要はなく、最寄りの市役所、郡役所で申請すれば、発行してくれる。結婚によって女性は名字の変更が出来るが、夫が妻(又は同性のパートナー)の名字を名乗りたいときは法廷の許可を得る必要がある。

そして、新しい名字が書かれた婚姻証明書を入手すれば、社会保険番号や各種身分証明書を発行してもらえる。その他、銀行口座、保険等10種類以上の名前変更が必要になるので、名字を変えたがらない女性もいる。

なお、女性は結婚後も希望すれば、独身時代の名字を名乗ることは可能である。ただし、これは婚姻届けを出した場合に限られ、同棲、事実婚の場合には適用されない。

 

結婚後夫の名字を名乗る米国の女性の割合はおよそ70%と言われている。だが、2004年にハーバード大学がマサチューセッツ州において実施した調査によると、大学卒の女性の87%が結婚後、夫の名字に変えている。なお、これまで最高値は1975年の90%であるが、1990年は80%だったから、名字を変える妻の割合は最近増えたことになる。同じ調査で明らかになったデータは高学歴で専門職につく女性ほど「独身時代の名字」を維持していることだった。博士号所持者は最終学歴が学部卒以下の女性より別姓を選ぶ率が10倍高く、大学院卒は学部卒より3倍高い。

 

参考のために妻たちの「別姓、即ち独身時の名字を維持する理由」を書いておこう。

■夫が名字を変えないのなら、自分が変えなきゃならない根拠がない。

■この一方的慣例に反対だから。

■自分はこの名字を持つ家族の最後の一人だから。

■名字変更による面倒な手続きを避けたいため。

■自分のアイデンティティを失いたくない。

■自分の名字の方が夫のより好きだから。

■専門職上起こり得る悪影響を避けるため。

 

成程と思う理由もあるが、自分勝手な理由が多い。上記の理由にはないが、二度目以上の結婚をした女性が旧姓を選ぶのは、前夫との間に出来た子供たちのことを考えてのことだろう。何しろ、米国の夫婦の50%が二回以上の再婚者なのだ。8回も結婚したエリザベス・テイラーでなくとも、再婚するたびに名字を変えるのは大ごとだが、自業自得と言うものだ。

 

因みに世界一離婚率が高いのはポルトガル人で72.2%にもなる。2位はスペインの57.9%である。いずれも2015年の統計である。

現代のイベリア両国人は結婚に際して、夫婦別姓を選ぶカップルが多いことでも知られている。

かつては同じ屋根の下に住む家族の名字が同じであることが、家族の絆の証しだったのだが、今や米国では違った名字(Family name)の家族構成が珍しくなくなり、家族の一体感が失われつつある。将に家族制度の崩壊が始まっているのだ。

 

 野党は「選択的夫婦別姓導入」に賛成

 

 

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   写真:(https://www.ameblo.jp)

去る623日、最高裁判所(日本)で「夫婦同氏を義務付ける民法、戸籍法は憲法に違反するかどうか」の審査が行われた結果、11対4で合憲と判定されている。その後、衆院選公示直前に日本記者クラブで行われた、各党党首討論会において、来年の通常国会に「選択的夫婦別姓導入」法案、「LGBT(性的少数者)理解増進」法案を提出するかを問われた、党首たちは岸田首相を除く全員がYESと回答した。

 

「夫婦別姓制度」は公明党を含む日本の大部分の政党の共通な目標になっていることが分かる。岸田首相は慎重意見だが、自民党内にも「夫婦別姓」に賛意を表明する議員も少なからずいる。

 

だが、欧米の急進リベラル派が共感を示すLGBT、夫婦別姓推進の流れは、大きなイデオロギーの仕掛であるとされている。先にも書いたが、特に「夫婦別姓」は家族の解体につながる、危ない思想と言える。もっとも米国ではとうの昔から夫婦別姓が認めれているので、もはや論争にもならない。だが、米国はキリスト教の信条が、ある程度急進リベラル思想への防波堤になっている。我が国の国会でのイデオロギーに囚われない論議を待ちたいものだ。

 

マルクス・エンゲルスの共産革命において、家族の解体は革命の第一歩であり、LGBTの推進とフェミニズムはこうしたイデオロギー闘争と密接につながっている。

エンゲルスの「家族・私有財産・国家の起源」がその原点であるが、エンゲルスは同書の中で、国家と一夫一婦制の家族と資本主義が、悪の三点セットとして解体すべき革命の目標である、と説いている。資本主義を解体するのが共産主義であり、家族を解体するのがラディカルフェミニズムであり、選択的夫婦別姓もその流れにあることは忘れてはならない。

 

さて、ここまで書いてきて、ふとあることに気が付いた。「夫婦同氏」が良いか悪いかを論じる前に、もっと大事なことがあることに気が付いた。百田尚樹氏は名著「日本国紀」を書くにあたって、こんなことを書いている。

「どこの家にも家族の物語があるでしょう。『あなたのお祖父さんはこんな人で、こんなふうに生きた素晴らしい人だったんだよ』と語り継ぐような」。

ところが、少数派だがお祖父ちゃん、お祖母ちゃんとの繋がりが絶えてしまった孫たちがいるのだ。テキサスで私が親しくしている、米国人夫婦は二人ともご両親が離婚、再婚を繰り返したため、孫たちには多数の祖父母がいるわけだが、現実には私の友人たちさえ、実の両親、継父母たちとの縁がうすくなってしまっている。ましてや、孫たちは会ったことさえない、祖父母がいるというわけだ。

ポルトガル人の離婚率は72.2%だと書いた。彼らにとって大事なことは、自分の都合、幸せであり、生まれてくる新しい家族は二の次になっているとしか思えない。半世紀前、我々が結婚した時代は、結婚式前に数週間にわたって神父様から結婚生活に関する、各種の教えを受けたものだった。そんなことが大事なのではないだろうか。

「夫婦別氏」制度は個人主義を尊ぶキリスト教社会では良いかも知れないが、「家族」、特に子供を大事にしたい日本には「夫婦同氏」が相応しい。夫婦別氏は家族の紐帯を破壊しようとするマルクス思想の第一歩であることに思い至って欲しい。 (終わり)