富士山が見える散歩道
東京府中の私の散歩道は最高である。何しろ、近くに二つの都立公園と農工大の農場があり、何れも餓鬼時代の遊び場と来ているから、何処を通っても懐かしい思い出が残っているからだ。万歩計をポケットに、ウオークマンを聞きながら歩くから、将にウオークマンである。浅間山から81キロ先の富士山 右) 関東の富士見百景の一つ
家を出て美術館通りを行くと、左手に東京農工大の馬場と農場が現れる。農場を通り抜けて、府中の森公園を右手に見て直進すると、私にとって特に懐かしい、浅間山(せんげんやま)に到着する。
浅間山は低山のくせに堂々三つの峰を持っている。堂山、中山、前山である。最高峰は堂山で、79.3Mts.の山頂に小さな浅間神社がある。
餓鬼のころは、蛇がうじゃうじゃいたので我々は「蛇山いるぞう」と呼んでいた。山の南側には小さな池があって、春にはオタマジャクシが溢れていたものだが、今は明治大学野球部の島岡寮とグラウンドを二面持つ練習場になっている。
浅間山は低山のくせに堂々三つの峰を持っている。堂山、中山、前山である。最高峰は堂山で、79.3Mts.の山頂に小さな浅間神社がある。
餓鬼のころは、蛇がうじゃうじゃいたので我々は「蛇山いるぞう」と呼んでいた。山の南側には小さな池があって、春にはオタマジャクシが溢れていたものだが、今は明治大学野球部の島岡寮とグラウンドを二面持つ練習場になっている。
上)さり気無く整備された道 きすげ橋を渡ると、自然のままの道
浅間山の麓を二周後、急坂を登って富士山が見えるスポットに着く。ここ数ヶ月、富士山が拝めたのはたったの二回きりである。府中は晴れていても、西の空はいつも雲が掛かっていて、富士は見えないのだ。
それが今週の火曜日、前日の雨が上がって、見事に富士山が姿を現してくれた。
農工大馬術部の馬場 右)農工大農場
浅間山の麓を二周後、急坂を登って富士山が見えるスポットに着く。ここ数ヶ月、富士山が拝めたのはたったの二回きりである。府中は晴れていても、西の空はいつも雲が掛かっていて、富士は見えないのだ。
それが今週の火曜日、前日の雨が上がって、見事に富士山が姿を現してくれた。
農工大馬術部の馬場 右)農工大農場
私が浅間山を気にいっているのは、道の一部が石畳で適度にデコボコしているため、天然の「青竹踏み」が出来るからだ。都立公園だが、自然を尊重して整備は控えめなのが良い。
きすげ橋を渡って、多摩墓地方面に行くと、くぬぎと笹が自生する、手付かずの武蔵野の森が健在である。府中市のスローガン通り、「ほっとするね、緑の府中」である。ボランティアの方々の奉仕で清掃、管理が行われているのが、素晴らしい。
山の北側には斎藤茂吉、茂多先生ゆかりの斎藤精神病院がある。昔は付近に人家は全く無く、遠くから見えた、林の中の病院が不気味だったことを良く覚えている。
府中の森公園正面入口 右)府中の森公園
きすげ橋を渡って、多摩墓地方面に行くと、くぬぎと笹が自生する、手付かずの武蔵野の森が健在である。府中市のスローガン通り、「ほっとするね、緑の府中」である。ボランティアの方々の奉仕で清掃、管理が行われているのが、素晴らしい。
山の北側には斎藤茂吉、茂多先生ゆかりの斎藤精神病院がある。昔は付近に人家は全く無く、遠くから見えた、林の中の病院が不気味だったことを良く覚えている。
府中の森公園正面入口 右)府中の森公園
浅間山から、府中の森公園まで戻り、これを二まわりした後、農工大を通って家に戻ると丁度12000歩、6Km.くらいになる。朝の授業前、農工大の馬場では馬術部員たちが乗馬の練習に余念がない。昔は軍隊帰りのおじさんのような学生が多かったが、今時の農学部は女子学生や留学生も多く、変われば変わったものである。
この散歩道のお陰で、私は体重を12キロも落とすことが出来た。序で血圧、コレステロール、尿酸等々、全ての数値が改善したのは勿論である。
毎朝、散歩する度に思うことは、「浦島太郎」の私が餓鬼時代の遊び場を散歩することが出来る幸せである。おまけに、この幸せは健康まで恵んでくれるのだから、勿体ない位である。
(終り)
毎朝、散歩する度に思うことは、「浦島太郎」の私が餓鬼時代の遊び場を散歩することが出来る幸せである。おまけに、この幸せは健康まで恵んでくれるのだから、勿体ない位である。
(終り)