アメリカ便り

アメリカ便り Letters from the Americas 様々なアメリカ&メキシコ事情と両国の小話

2010年04月

三点リーダー・・・Puntos suspensivos by Dr.Mario Melgar

メキシコのExcelsior紙の同氏コラム「Puntos suspensivos」より翻訳転載 

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写真は筆者、メルガール博士

麻薬組織(Narcos-ナルコス)と密約?

メキシコの麻薬問題はグローバルなテーマに格上げされて来た。カルデロン(メキシコ大統領)の対ナルコス戦争は戦略の誤りによって、にっちもさっちも行かない泥沼にはまり込んで仕舞った。
政府軍の技術的、ロジステック、財政的、軍事的、刑事的能力の欠如によって、戦争の継続すらおぼつかない。戦争中止は批判勢力を勢い付けるだけである。
戦争開始前に敗戦が予想されていた不可解な戦争に、カルデロンは政権の運命を賭けて仕舞ったのである。この戦争の戦果は、ナルコスによる殺人、暴力行為を増加させただけである。
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写真:米国へ密輸中の200㌔以上のヘロインがメキシコ市東方で軍によって押収され、四人が逮捕された。

ストラトフォーは米国の国際情報、諜報を専門とする会社である。彼らは中東、朝鮮半島情勢やキルチネル(前アルゼンチン大統領)の別荘の寝室での出来事等を調査するのが仕事である。
社長はジョージ・フリードマンでと言う人物で、戦争、地政学に関する数冊の著書がある。この人物が「メキシコは破綻国家である」と言う説を流布したのである。
最近の国状を見れば、彼もメキシコは左程破綻していない、と認めねばなるまい。
これはメキシコ政府の手柄でも、政府が見事な戦略をたてた訳でもなく、メキシコが想像だにしなかった恩恵を、麻薬組織が施して、金融恐慌から国を救ってくれたからである。
国にとって大問題の麻薬組織が今や国家の救世主、と言われる所以である。

ストラトフォーの思わせ振りな表現は狡猾だが、無分別過ぎる。例えば、馬鹿げた提案の一つは政府にチャポ・グスマン(麻薬ボス)との同盟を提案したことである。
しかし全ての提案が役立たず、と言うわけでもない。メキシコの様々な麻薬組織間の関係に関する分析は系統的であり、信頼するに足る情報に裏打ちされている。
ストラトフォールが説くように、麻薬組織の経済力がメキシコ経済に利益をもたらしているのは事実だ。この見解は新しいものではなく、以前ホルヘ・カスタニェーダとルベン・アギラールも主張していた。彼らの主張は麻薬問題解決には、先ず麻薬吸引によって起こる害毒の副作用を治療、根絶する方向に方針を変えるべきだ、と言うものだった。この方針転換こそ我々メキシコ国民が望むもので、是非今年のメキシコ革命100周年が祖国に平和をもたらして呉れることを期待したい。
ストラトフォーと我々にとって幸いなことに、麻薬組織が受取る、巨額の外貨が都合よく今回の世界金融危機から祖国を救ってくれたのである。

ストラトフォーは重ねて言う。割拠する麻薬組織間の力の均衡が保たれなければ、メキシコの将来に望みはない、と。カルデロン政権は二つの影響力の谷間に挟まれて身動きが取れない状態にある。説明不可能な巨大な外貨準備(米国連邦麻薬取締局とストラトフォーによると350~400億ドル)と増加一方の暴力、汚職、国民のナルコスへの怒りと恐怖である。

ナルコスとの妥協点を探れ

これら二つの影響力が生みだす重圧は、カルデロンが次期大統領選挙を組織し、勝者にバトンを渡す、2012年まで増大し続けるだろう。選挙が平穏裡に終り、暴力沙汰が全国の隅々に拡散するのを防ぎ、外国からの送金が出所の詮索なしに振り込め続けるには、連邦政府が強力な権威を保ちつつ、ナルコスとの妥協点を探り、彼らと何らかの密約を結ぶ必要がある。「見ぬは極楽、知らぬは仏」と言う格言があるではないか。(訳者注:メキシコにも日本と同じ意味の格言がある)

重圧を感じても矜持を保ちたい政府は、犯罪者たちとは取引しないと言う。純真さは想像力と政治的柔軟性の欠如を意味する。何も政府とナルコス(麻薬組織)がチャプルテペック城で対面して和平と親善協定を結べと言うのではない。カルロス・テイヨはミレニアムの年に、この案を提案した。だが、ナルコスと取引し密約することは共謀を連想させるとして評判が悪かった。しかし、戦争でも敵対する軍双方が合意することはあり得ないが、交信したり、規則を決め、約束を守ることはあるのだ。

映画「ゴッドファーザー」の中で、コルレオーネは米国での麻薬取引の中止を、シシリアのマフィアは家族を巻き添えにしないことを、互いに決断する密約を交わしたことを我々は知っている。
我国の場合、大げさにする必要はない。要は国民が嘆き、恐怖に慄かないようにしてくれれば良いのだ。

メキシコ国民がもう一度、街に、家庭に平和、静穏、安全を、取り戻せたらどんなに嬉しいことだろうか。
(終り)

筆者略歴:
マリオ・メルガール(Mario Melgar)
メキシコ国立大学教授、同大学サンアントニオ(Texas州)キャンパス学長
法学博士、弁護士、政治評論家、趣味は1200cc級オートバイ・レース 64才

ロレナ・オチョア(LPGA賞金女王)の引退理由

ロレナ・オチョアは今日23日、金曜日、メキシコ・シティーで記者会見を開き、来週の「モレリア(メキシコ中部)の試合がLPGAのプロ選手としての最後のゲームとなる」と表明した。

突然の引退表明は20日に行われたが、今日、28才で引退しる理由を説明するために
ロレナ・オチョアはメキシコ市を記者会見の場に選んだ。
引退の理由は:
第一に、「今日、LPGA賞金女王として三年目を迎えました。私はNo.1として引退したかったのです」
第二は、「引退表明はメキシコで、自分の家で、自分の家族、同胞を前にしたかったのです」

家族と一緒に過ごせなかった日々のお返しがしたい


最後に、直接の理由は「日々の生活の喜びを享受しながら生きていきたいからです。この望みはプレイとは両立しないのです。ここ数年、家族と一緒に過ごせなかった日々のお返しを私の家族にしたいのです」と
去年三人の子持ちの男性と結婚した、28才の世界女子ゴルフNo.1ゴフファーは語った。
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彼女が100%後援する小学校の生徒たちにかこまれたロレナ

今後、ロレナは彼女が設立した、「ロレナ・オチョア財団」をベースに種々の、奉仕活動と共に、スポーツ、特にゴルフの振興にも努めたいと言う。
ロレナの奉仕事業の一つに、小学校の設立がある。彼女の生れ故郷、グアダラハーラの低所得者階層が居住する地域にバランカ小学校を建設し、その運営の責任も担っている。現在312名の生徒が通学しており、1998年以降10期281名の卒業生を送り出した。

ロレナが子供の教育に力を注ぐのには、訳がある。次のメキシコのデータを見て欲しい。
メキシコ国民の9.3%は文盲である。低所得者層に限れば、もっと高率である。
小学校卒業者は国民の31.6%に過ぎない。
毎日、2000もの学童が退学している。
メキシコ国民の平均学歴は小学校4年修業である。
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左)バランカ小学校の授業風景         右)ロレナが建設する中学校の建築現場の子供たち

ロレナは「ロレナ・オチョア財団」のHPにこう書いている。
「財団はゴルフ競技が私に与えてくれた、最も貴重なものです。財団によって、多くの子供たちの勉強のお手伝いが出来るのですから」
華やかなプロ選手活動の合間に、地味な奉仕活動を続けて来た、ロレナは実に見上げた精神の持主と言えよう。
メキシコが生んだ、史上最高峰のスポーツ選手である、ロレナの引退を惜しむ声は、メキシコのみならず、世界中で挙がっている。LPGAで通算8年プレイして来たロレナはアメリカの「ゴルフの殿堂入り」が確実視されていた。唯一つ足りない条件は「10年間の競技実績」だった。あと二年現役を続ければ、殿堂入りは現実のものとなるハズだった。
8年間の彼女の賞金獲得額は一千三百四十万ドルに達し、歴代三位である。企業のロゴをユニフォーム、キャップ、バッグ等に付けることによって入る収入、コマーシャル料等は別勘定である。
因みに、ロレナのキャップを飾るロゴのために、メキシコのバナメックス銀行は年間二百万ドル以上払っているそうだ。それでもロレナはあっさりゴルフを辞めて仕舞うのだから、家族への思いが如何に大きいかが分かろう、と言うものだ。

アメリカの新聞によると、ロレナの引退は絶対的なものではなく、アニカ・ソレンスタムが出産後、現役復帰したようなことが起こるかも知れない、と期待している。

(終り)
「お知らせ」
先週のロレナ・オチョアの関連記事も合わせてご覧ください。

ロレナ・オチョア、ゴルフにアディオス(さよなら)

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ロレナ・オチョア(メキシコ人)三年連続賞金女王
今週金曜日(23日)、ロレナはスポンサーと共に、公式の引退発表をする予定である。
三年連続、賞金女王世界一を達成する金曜日、ロレナはプロ・ゴルフ競技から引退すると発表する模様である。理由として、家族との生活並びに福祉活動に専念することを挙げている。
情報筋がカンチャ誌(スポーツ専門雑誌)に伝えたところによると、23日(金)の引退発表は、彼女の全てのスポンサーとメディアの共同主催によって行われる。
また、ロレナに近い関係者によると、引退はアディオスではなく、アスタ・ルエゴ(それではまた)である、と言う。これは将来再び競技に復帰する可能性を残している。
また、別の関係者によると、ロレナは「自分の人生に満足しており、今後は家庭に専念したい」とも語ったそうである。

ロレナは「ゴルフの殿堂」入りが懸案になっているが、LPGAの殿堂入りの条件で彼女に不足していることは、「LPGAでの10年間に亘る活動」だけである。
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ロレナと夫のアンドレス(アエロ・メキシコ社長)

引退劇の前、ロレナ・オチョアの殿堂入りは、2012年に予定されていた。ロレナは殿堂入りに必要な27ポイントを獲得しており、メジャーも二勝している。
今回の引退発表は、「私にとって、私生活は競技生活より重要」と言い続けていた、彼女にしては、唐突なものではない。去年の8月にも、オチョアはカンチャ誌にもこのことを明言していたのである。

今週、メキシコ・シティーで行われる、記者会見の招待状には、「彼女の今シーズンに於ける重要な変更に関する発表を行う」としている。

ロレナは去年の10月以降、一勝もしておらず、これはメジャー二勝を含む、27勝を挙げた、過去8年の競技生活中、最低の成績である。彼女は去年の12月、メキシコの航空会社、アエロ・メキシコ幹部のアンドレス・コネサと結婚した。去年6月から、ロレナはメキシコ・シティーとグアダラハーラの両方に住居を定めていたが、結婚後はメキシコの首府である、メキシコ・シティーに転居している。

Indefinite(不定の、不確定な)な引退は多くのスターたちがとってきた手法である。
女性ゴルファー史上、最高の選手である、アニカ・ソレンスタンは2009年引退して、家庭生活に入り、女児を出産している。今のところ、スーエーデン選手は競技から遠ざかっているが、復帰へのドアーは開いている。

ロレナのスポンサー関係の収入は明らかにされていないが、ゴルフ・ダイジェスト誌によると、2008年のロレナのスポンサーからの収入は二百万ドル(一億八千万円)だという。
しかし、ロレナの兄であり、マネージャーである、アレハンドロ・オチョアによると、妹の収入はこれ以上ある、とのことだ。

(終り)

ゴルフ場の殺し屋

地元のゴルフ場の一番ホールで、ゴルフ仲間のジョンとボブがティー・オフしようとしていると、ゴルフ・バッグを担いだ一人の男が「ご一緒させてくれませんか?相棒が来られなくなったもので」と言った。
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二人は快くOKして、三人でプレイし始めた。三人は上機嫌でゴルフを楽しみ、話も弾んだのである。ジョンは新入りに、「お仕事はなんですか?」と訊いた。
すると、彼は「殺し屋ですよ」と答えた。
「おいおい、冗談は止せよ?」と言うと、
「本当ですよ」と、ゴルフ・バッグから長い望遠鏡付きの“マルティーニ”のスナイパー・ライフル(狙撃用)を取りだして、二人に見せた。
殺し屋:「これが私の商売道具ですよ」と誇らしげに言った。

すると、ボブが、「凄い銃ですな。望遠鏡付きか。見せて貰って良いかね、家が見えるかもしれない」と言って、銃を手にとり、長い望遠鏡を自宅の方向に向けた。

ボブ:「おお、家の中まで良く見える。これは凄い、俺の女房が寝室にいるよ。何だ?
彼女真っ裸だぞ。ちょと待てよ、一緒にいるのは隣人のマイクじゃないか。あの野郎も素っ裸だぞ」

憤然とした、ボブは殺し屋に向き直り、「あいつ等を撃って欲しい、幾らでやってくれる?」
と訊いた。

殺し屋:「お近づきになったお礼に、安くしときますよ、一回引き金を引くごとに、1,000ドルで引受けましょう」

ボブ:「OK、今直ぐ二人を撃ってくれるか?」

殺し屋「勿論、どう撃ちましょう?」

ボブ:「最初に、女房をやってくれ、彼女は何時も大声でまくし立てるから、口を撃ってくれ。続いて、マイクだ。彼は俺の友人だから、教訓を与える意味で、奴のきんたまを撃ってくれ」

すると、殺し屋はライフルを手に取り、数分間ジーット、狙いを定めている。

ボブ:「おい、撃つのか、撃たないのか、早くやってくれ」といら立って言った。
殺し屋:「ちょっと、待って下さいよ、貴方に1,000ドル、節約させて上げますからね」と
にやりとしながら、静かに言った。

(終り)

ミケルソン、ザ・マスターズ勝利の陰に家族愛があった


フィル・ミケルソンは乳がんで闘病中の妻エイミイに励まされて、三着目のグリーン・ジャケットを獲得した。ミケルソンのザ・マスターズ第74回トーナメントに於ける優勝は、最終日の9,10番ホールのパー・セーブ、恐怖のアーメン・コーナー、12番ホールでもぎ取った「沈着冷静な」バーディー、まさかと思わせた、松の木々の間から小川を越えて13番グリーンに乗せた神憑り的アプローチによるバーディ等によって獲得したのではなかった。
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上)アーメン・コーナーの12番、パー3   下)13番パー5、林の中から二打目をピン
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ミケルソンの三回目のザ・マスターズの勝利の鍵は、ザ・マスターズ週間二日前にあった。その日、サン・ディゴ、ランチョ・サンタ・フェの自宅で、フィルの妻エイミイは気分が良いのでオーガスタまで行こう、との決意したのだった。そして、彼女は「来週一週間、フィルと一緒にいたい」と日曜8日の夜、CNNのカメラの前で、語ったのである。
それは昨年5月、乳がんと宣告されて以来、初めてのメディアへの登場だった。
「私は夫を、ゴルフをするか、具合の悪い私を看病するか、と言う難しい立場に置きたくないのです」と彼女は心情を吐露した。
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18番グリーンでフィルを待つ、エイミイと子供たち

闘病中、エイミイは学生時代からの恋人である彼に負担を掛けるどころか、逆に彼を激励し続けたのだ。しかし、彼女が受ける厳しい化学療法に体力を奪われ、夫に従って、ツアーに同行することは不可能だった。
ゴルフ界で最も注目を集める選手である、ミケルソンにはシーズン中彼に同伴する妻も子供たちもいなかった。ミケルソンは今シーズンの7試合目までは、単にゲームをこなすだけのプレイ振りで、最高位は8位に過ぎなかった。

エイミイと子供たち、オーガスタに現れる!

しかし、エイミイと三人の子供たちがオーガスタ・ナショナルに現れると、全てが変わった。「マスターズ初日の木曜日、彼は特別なエネルギーに満ち、俄然やる気が起こって来たのだ」とミケルソンのスウィング・コーチのバッチ・ハーモンは、エイミイの応援が大きかった、と証言した。
「フィルは実力以上にプレイしている。昼はバーディーを量産し、夜は彼の両親、エイミイの両親を含めた、家族が揃ってディナーを楽しみ、一家水入らずの一時を過ごせたのが良かった」とハーモンは続けた。
昨夏、乳がんを宣告されフィルのお母さんは、今週体調が良く、金曜と日曜は起伏の激しい、オーガスタの9ホールを息子と一緒に廻って応援したのだった。

フィルが借りた、オーガスタの家には子供たちのお祖父ちゃん、お祖母ちゃんのベビーシッターが4人もいたので、フィルは朝の内、娘のソフィアとチェスをプレイしに、コーヒーショップに出掛けたものだ。その日、永年に亘ってフィルのキャディーを務める、ジム・マッケイの前に姿を現した、フィルはすこぶる上機嫌だった。ジムによると、「オーガスタはフィルにとって遊園地」だそうだ。
土曜の夜、偉大なる勝利の前夜、ミケルソンは神経質になっている暇はなかった。
と言うのは、その夜、彼は夜遅くまで起きていて、長女のアマンダがローラースケートで転んで挫いた手首のレントゲン写真の結果を待っていたのだ。幸い、アマンダの怪我は「小さなヒビ」で済んだ。
息子と同名である、お父さんの方のフィル・ミケルソン氏は、「私は息子を誇りに思っています。こんな難しいときに、全て上手く対処してますよ。父親としても、立派だし、親としてこれ以上の誇りはないですよ」と語った。フィルは良い夫であると共に、良いパパでもあるのだ。

日曜の午後、過去11カ月間最大の瞬間が近づいて来た。ミケルソン一族は全員18番グリーン付近に集合していた。エイミイはオーガスタの借上げた邸宅のTVセットの前で休息していた。夫が12ホールで反撃に出たとき、涙があふれ出て来た。エイミイはこの感動的なゲームを見逃す訳には行かなかった。彼女はコースに行って、フィルを驚かせようと決断した。
暫くして、18番グリーンの後方に目立たないように立っている、エミリーの姿があった。
フィルとマッケイは最終グリーンに近づくと、目敏くエイミイの姿に気が付いた。
昨年の夏、エイミイがヒューストンの病院で手術を受けたとき、“骨”(痩せているキャディ・マッケイの愛称)と彼の妻ジェニファーは、手術の前後、ずーっとエイミイと一緒だったのだ。“骨”はエイミイと目を会わせようとしなかった。合わせれば、感動で胸が一杯になる、と分かっていたからだ。「想像してくれよ、フィルがそのとき、どう思っていたか」
フィルは見事最後のバーディー・パットを決めた。グリーン廻りの観衆の大歓声が沸き起こった。最終日のフィルのスコアは、ボギー無しの67、四日間のトータル、16アンダーの272はザ・マスターズの歴代第四位の大記録だった。

ザ・マスターズの永い抱擁の歴史

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フィルとエイミイ
フィルは妻、エイミイにゆっくり近付いて行った。ザ・マスターズには感情のこもった、感動的な「抱擁」の長い歴史がある。この日のミケルソン夫妻の抱擁は、甘美な陶酔に浸る、映画の一シーンのようだった。
「俺は涙に濡れ尽くした」とマッケイは語った。マッケイの隣にいた、ぶっきらぼうで武骨なフィルのコーチのハーマンは、女学生のように泣き叫んでいた。
「教え子たちの優勝を私は何回も見ている。しかし、こんな感動的な場面は始めてだ。今日は特別なんだ、あの二人は特別な人たちなんだ」とコーチのハーマン語った。

どんな場面でも冷静にしていられる様に訓練を積んでいる、フィルはグリーン・ジャケットの贈呈式で「今年、我々は多くの辛いことを経験しました。だからこそ、二人が分ち合う喜びもそれだけ大きいのです」と言ったとき、流石にフィルの声はうわずっていた。
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上)カブレーラからグリーン・ジャケットを受ける
下)復帰戦を飾れなかった、No.1プレイヤー、タイガー(-11、五位)

ミケルソンのPGA38回目の勝利により、彼は優勝回数、歴代11位になった。しかし、ザ・マスターズに限れば、ミケルソンの三勝を上回る選手は、ジャック・ニクラス、アーノルド・パーマーとタイガー・ウッヅのビッグ・スリーしかいない。しかもミケルソンの2005年のPGA選手権優勝を含む、4回のメジャー優勝は何れもタイガーが1996年にプロに転向してからのものだ。
この事実は、現代のゴルフ界のセカンド・ベスト・プレイヤーは誰か、と言う長い論争に明確な終止符をつけたと言える。

(終り)

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