アメリカ便り

アメリカ便り Letters from the Americas 様々なアメリカ&メキシコ事情と両国の小話

2016年01月

イメージ 1
イメージ 2


                誕生日サプライズ

イメージ 3

                                          20minutos.es 

  ボブは勤務する工場で勤勉に働くかたわら週二晩ボーリング場に通い、土曜日はゴルフを楽しむ良いご身分である。

しかし、彼の奥さんは、あまりにも働き過ぎる亭主の体を心配して、たまには息抜きさせてあげようと、誕生日サプライズとして、地元のストリップ・クラブに亭主を招待した。


  クラブのドアマンはボブを見ると、「やあ、ボブ!元気そうだな」と親しげにあいさつした。

奥さんは少なからず驚いて、「あなた、この店に来たことあるの?」と訊いた。


  「いや、初めてだよ。彼はボーリングの仲間なのさ」とボブは答えた。


  二人がテーブルに着くと、ウエイトレスは「いつもので良かったのね?」と言いながら、彼にバドワイザーを持ってきた。


 奥さんは不機嫌になって、「どうして彼女はあなたの好みのビールがバドワイザーだと知っているの?」と柳眉を逆立てた。


  ボブは「彼女は週末ゴルフ場のレストランで働いているんだよ。だから9ホール終わると、俺がいつもバドワイザーを飲むのを知っているのさ」と答えた。


 やがてストリップ・ショウが始まった。ストリッパーが二人のテーブルにやって来るや、いきなりボブに抱き付くと、「ハーイ、社長さん、お元気? いつものテーブル・ダンスがお望み、ボブ?」

と色っぽく言った。


 今度こそ奥さんは怒り心頭に発して、ハンドバッグをつかむと、足音荒く出口目指して走り出した。

ボブはあわてて彼女を追いかけ、タクシーに乗り込もうとしている奥さんに追いついた。


 タクシーのドアが閉まる寸前、ボブは車内に飛び込んで、彼女の隣に座った。


 怒り狂った女房を見て、ボブは絶望的になったが、必死に弁解した。

「ストリッパーは俺を他の客と混同したんだよ……」


  が、奥さんは聞く耳を持たなかった。それどころか、タクシー内で彼女はあらん限りの大声をだして、あらん限りのボブの悪口をわめき散らした。


 タクシーの運ちゃんは後ろを振り向くと、「驚いたね、ボブ。今夜はまったくヒドイ性悪女を拾ってきたな。物好きにも程があるぜ」と言って大笑いした。


 お後がよろしいようで……


イメージ 1
イメージ 2


                           麻薬ギャングの親玉


               エル・チャポかく語りき

イメージ 3
                                    (lavoz.com.mx)

  先週お約束した、エル・チャポ・グスマンのインタービューをお届けする。1月8日、メキシコのロス・モチス市で再逮捕された、麻薬ギャングの親玉・エル・チャポのインタービューが翌日発売された、ローリング・ストーン誌に掲載されて、世界中が驚かされた。

  インターネットでは、ショーン・ペンが送った質問にスペイン語で答えるエル・チャポのインタービュー映像が公開されている。筆者はそのRollingStone電子版による映像を見て、この原稿を書いた。インタービューまでの経緯については、先週のアメリカ便り「米俳優、麻薬ギャングを取材」をご覧いただきたい。


  エル・チャポは「都合の悪い質問」には答えていない訳なので、放映時間は17分だった。

ローリング・ストーン誌の原稿も発表前にエル・チャポの承認を得た、と思われる。相手が「お尋ね者」なので止むを得ないことだろう。

  映像が録画された場所が、前号で紹介したペンとケイトが訪ねた、エル・チャポのメキシコ某所の彼の隠れ家かどうかは不明。録画の時期はエル・チャポ逮捕前の昨年の1012月の間と思われる。なお、エル・チャポとの仲介の労をとったのはケイトである、と記事内で明らかにしている。エル・チャポの背後には遠く低い山々が見え、鶏の鳴き声が何度も録音されていた。以下インタービューのすべてをお届けする。


                                エル・チャポのインタービュー

イメージ 4
                                        (vanguardia.com.mx

エル・チャポ:「最初にこのインタービューはケイト・デル・カスティヨとショーン・ペンに独占的版権を与えたことを確認しておきたい」


ペン:「子供時代について語ってください」

エル・チャポ:「俺の父母は貧乏で、私は6歳のときから飴やオレンジを売って家計 を助け 

た。母は畑を耕してとうもろこしと豆を栽培し、祖母の牛馬の面倒を見、パンを焼いて売り、我々を育てた。今もそうだが、生まれ故郷のバディラグアト (シナロア州)は仕事がなく、15才のときから食うためにマリフアーナやアマポー  ラを栽培して売るしかなかった。

18才で田舎から州都のクリアカンを経てグアダラハーラ(メキシコ第二の大都市、麻薬取引が盛ん)に移って麻薬組織に加わった。

 我々はふつうの家族で、父母を中心に兄弟、甥、姪等と一緒に暮らしていた し、これまで頻繁に帰郷していた」


ペン:「自由の身である、今の心境は?追われる身でプレッシャーは感じないか?」

エル・チャポ:「今は自由を満喫してハッピーだが、自由がない刑務所内でも健康、精神状態に問題はなかった。検察、軍隊に追われる身は常にプレッシャーを感じているが、これが普通だと思っている。


ペン:「麻薬は人類を滅ぼすと思うか?」

エル・チャポ:「人類に害を与えるのは事実であり、現実の問題だ。だが不幸なことに我々が育った場所は、麻薬取引より他に生きる術がなかった。麻薬の害は良く知っている」


ペン:「麻薬がアメリカを初め世界中に蔓延しているのはあなたの所為ではないのか?」

エル・チャポ:「うそだ。このビジネスには多くの組織、人々が関わっている」


ペン:「なぜ暴力、殺人が常習化しているのか?」

エル・チャポ:「暴力というが、我々は好んで暴力を振るっているわけではない。

我々は降りかかってくる火の粉を防いでいるだけだ。人が集まれば、色々意見の違いが表れて、争いが起こる。我々は防御しているだけだ。二度の脱獄の際でさえ、俺はまったく暴力を使っていない」

イメージ 5
                                  noticaribe.com

ペン:「もしあなたが逮捕されると、麻薬取引への影響は?消滅するか、増大するか」

エル・チャポ:「俺がいてもいなくとも、このビジネスは消滅などしない。従事する人間は増えている。ビジネスは決して無くならない。麻薬の種類も増え、米国内の消費量も増え続けている。新しい人々もビジネスに参入している。一人が捕まっても新しいのが入ってくる。麻薬取引は今始まったことではなく、昔からあったし、今やメキシコの文化だ」


ペン:「コロンビアのパブロ・エスコバール(コロンビア、否世界最大の麻薬ギャング。1993年コロンビア警察に殺害された)の最後をどう思うか?

エル・チャポ:「生前会ったことがある。誰でも何時か死ぬが、俺はベッドで死にたい。何度も言うが、俺が捕まっても大きな影響はない。組織があるし、多くの人間がビジネスに携わっている」


ペン:「麻薬消費を拡大するために、広告、販促はしないのか?」

エル・チャポ:「その必要はない。そんなことをすれは、官憲の注目を引くだけだ」


ペン:「メキシコ政府は口封じのためにあなたを捕まえないで殺したいと考えている、という

人がいる。どう思う?」

エル・チャポ:「そんなことはないと信じる」

イメージ 6
                                  (elheraldo.hn)

ペン:「今の夢は?」

エル・チャポ:「特にないが、家族と一緒に住みたい。敬愛している母ともだ。俺は家族の絆を大事に思っている。今の自由が続くと良い。俺の今があることを神に感謝したい」


ペン:「あなたは麻薬の常習者か?」

エル・チャポ:「20年前まではそうだったが、今はまったくやっていない」


ペン:「あなたの息子、娘さんたちの将来をどう思うか?」

エル・チャポ:「問題ないし、良いと思う」


ペン:「自分を客観的に見てどう評価するか?」

エル・チャポ:「俺は普通の人間で、問題を起こす人間ではない。俺を知っている人は悪く言わない。が知らない人が勝手なことを言うのは防げない。色々の考えの人間がいるのは当たり前だ」


ペン:「最後にメキシコの人々にメッセージをお願いします」

エル・チャポ「俺を知っている人は悪くいわない。が知らない人が勝手なことをいうのは防げない」

(と何故か終わりから二番目の返答を繰り返した。メキシコ人へメッセージを送れるような人物ではない、と自覚しているのか。)


 さてインタービューを読んで、私は池波正太郎が「鬼平に言わせた」言葉を思い出していた。「人間というものは妙な生きものよ。悪いことをしながら善いことをし、善いことをしながら悪事を働く」である。

エル・チャポがそうなのだ。彼は山間部の貧しい部落に学校、診療所を寄付し、困っている人々に仕事を与えて、感謝されている。その辺がロビンフッドと言われるゆえんなのだろう。


                             インタービューは失敗だった

 ローリング・ストーン誌に「エル・チャポは語る」が載ると、一部のジャーナリストから批判が寄せられた。同誌は報道倫理規定を無視して、大きな関心を呼んだ特ダネを得た、と言った批判である。ジャーナリストなら誰もが欲していた、エル・チャポとのインタービューを実現した素人にプロが嫉妬した、とも言える。

  これにはローリング・ストーン誌が2014年掲載した「キャンパスの強姦」記事が名誉棄損で訴えられて、裁判が現在進行中なことも影響している。が、同誌は「エル・チャポは語る」で見事なカムバックを果たした、と賛辞をおくるジャーナリストも多い。


 さて、歴史的とさえ言われた、麻薬ギャング・エル・チャポとのインタービューを行ったハリウッド俳優・ショーン・ペンは、ローリング・ストーン誌に記事が載った後、CBS-TVの「60分」内で「インタービューは失敗だと後悔している」と語っている。

ペンはエル・チャポに会ったことを後悔しているのではなく、彼が予想していたのと異なる、視聴者、マスコミの反響を知って、「インタービューは失敗だった」と後悔しているのだ。


  インタービューに関するすべての論議はこの記事とインタービューの目的を知らずに進められている。ペンはこの記事によって、「麻薬戦争に関する論議に何らかの貢献をしたい」と考えていた。彼はインタービューと記事を契機として、麻薬の消費と取引、および米国とその他の国々が勃発させた麻薬組織との戦争の結果に関する論議が始まる、きっかけになって欲しかった、と嘆く。


 ペンは読者諸氏にこの麻薬(Drug)問題をじっくり考えて欲しい、と願っていた。彼は読者が彼に同意するか否かは別にして、「我々米国人は麻薬の消費者であり、麻薬ギャングの共犯者であるともいえる」ことを認識して欲しかったと語る。しかし、そんな論議は起こらなかったからインタービューは失敗だった、と結論したのだ。

イメージ 7
                                        (bbc.com)

 エル・チャポ再逮捕を発表した、メキシコ大統領は、「任務完了」と言って自画自賛したが、これで「一巻の終わり」とは行かない。エル・チャポの米国への引き渡しの件、メキシコ、アメリカ両政府のお尋ね者と接触を持った、二人の俳優の道義的、法的責任等が、懸案になっている。とにかく、「インタービュー」が引き起こした竜巻は当分収まりそうもない。


(終わり)


イメージ 1
イメージ 2

         「面白いゲームを遊びませんか?」

イメージ 3
                                    paginasiete.bo.com

  ロサンジェレス発ニューヨーク行きの機内で金髪女性と弁護士が隣同士になった。

弁護士は女性に面白いゲームを遊びませんか、と話しかけた。


 疲れていた金髪女性は一寝入りしたいと思っていたので、丁重に申し出を断り目を閉じた。


  しかし、弁護士は諦めずに、ゲームは簡単で面白いですから、と執拗だった。

彼は、「私が質問をします。あなたが答えられなかったときは、5ドル払ってもらいます。そしてあなたの質問に私が答えられなかった場合、私が5ドル払います」とルールを説明した。


  彼女は再び申し出を断って、眠ろうとした。

しかし弁護士は諦めずに、「OK, こうしましょう。あなたが答えられなかったときは、5ドルで良いです。しかし、私が答えられなかった場合、500ドル払いましょう」と気前よく値上げをした。


  この提案は金髪女性の関心を引くとともに、彼女が弁護士の提案を受けないと、このうるさい隣人は黙らないだろうと観念して、「ゲーム」を遊ぶことに同意した。


弁護士が最初に質問した。「地球から月までの距離は何マイルですか?」

金髪女性は黙ってバッグから財布を取りだすと、5ドル紙幣を弁護士に手渡した。


 勝ち誇った弁護士は、「OK,次はあなたの番です」と女性に言った。


  彼女は弁護士に質問した。

「山を登るときは三本脚で、下るときは四本脚になるものは何でしょう?」


  困惑、混乱した弁護士はパソコンを引っ張り出して、Wikipediaから議会図書館にまでアクセスして調べていたが、答えは見つからなかった。続いて、iPhoneを手に、彼の友人、仕事仲間にメッセージを送って、訊いてみたが、だれも知らなかった。

1時間経過した。仕方なく彼は眠っている金髪女性を揺り動かして、500ドルを手渡した。


 金髪女性は、「ありがとう」と言って紙幣を受け取ると、再び眠りについた。


 弁護士はむかっ腹を立てて、女性を目覚めさせると、「答えを教えて下さい」と迫った。


金髪女性は黙ってバッグから財布を取りだすと、5ドル紙幣を弁護士に手渡し、再び眠りについた。


 お後がよろしいようで……


イメージ 1
イメージ 2

            米俳優、麻薬ギャングを取材

イメージ 3
                                        (rollingstone.com/)

 先週「アメリカ便り」はメキシコの最悪の麻薬ギャング・ホアキン・エル・チャポ・グスマンの再逮捕を報告した。エル・チャポ逮捕の翌日の1月9日、アメリカの雑誌「ローリング・ストーン誌」が今度はエル・チャポの独占取材を発表して、世界中の耳目を集めた。これは世紀のスクープであると、評価する人もいる。

  取材したのは、ハリウッド俳優・ショーン・ペンであり、エル・チャポ取材の仕掛人が、メキシコの美人女優ケイト・デル・カスティヨだったことも、世間の興味を盛り上げた。ケイトは数年前、麻薬組織女ボスを題材として米国のスペイン語TV局が製作した、テレノベラ「南の女王」の主役を務めたが、メキシコでは放映禁止になった。が、エル・チャポを初め多くのメキシコ人はDVDで「南の女王」を見たのである。


では引き続いて、メキシコ、アメリカの新聞から集めた、麻薬ギャングの取材記の顛末をお届けする。


 「メキシコには二人の大統領がいる。エスピノーサと私が会見しようとしているのは、ペーニャ・ニエットではない」とシェーン・ペン(Sean Penn)はホアキン “エル・チャポ“ グスマンに会えると決まった後、たまたまニューヨークのホテルでメキシコ大統領のペーニャ・ニエットと同宿したときのことを思い出して、長い記事の中で次のように書いている。


  オスカー主演男優賞を獲得している、映画俳優のショーン・ペンは、検察庁の取調室以外では、おそらく一度も許していない、エル・チャポの取材を成し遂げた達成感を上記のように表現したのだ。要するに「俺はもう一人のメキシコ大統領に会ったのだ」と。しかし、私はエル・チャポがメキシコの「もう一人の大統領になぞられている」とは聞いたこともない。どうやらこれは、ケイトの受け売りらしい。そして、「もう一人の大統領」は再び、メキシコ市近郊のアルティプラノ刑務所に収監されている。

イメージ 4
                                   (blogs.indiewire.com)

 数週間にわたる綿密な「麻薬ギャングの隠れ家」への旅計画を練った後、一年以上前から、エル・チャポと連絡を取り合っていた、メキシコ女優・ケイト・デル・カスティヨとペンは、ロサンジェレスから、案内人のエスピノーサとのっぽの四人でメキシコへ飛んだ。


  エル・チャポ側から指定された、メキシコの某地点で車に乗せられた我々は、小型機が出発準備している某空港に着いた。機の操縦はエル・チャポの29歳の息子のアルフレッド・グスマンが担当した。二時間の飛行後、二人の俳優と同行の二人には7時間に及ぶ山間の原始林地帯の難路が待ち受けていた。

 途中、麻薬ギャングを取り締まる、陸軍警備隊検問所に到着した。銃を手に車に近づいて来た二人の兵士は、麻薬ギャングの息子の顔を見ると、恐縮した様子で離れて行き、我々の車は難なく検問所を通過した。「これがエル・チャポのばらまく金の成果なのだ」とペンは書いている。この事実がいかにメキシコ陸軍が腐敗しているかを如実に物語っている。


  数時間後、我々は目的地に到着した。そこにはアメリカとメキシコの麻薬関係の捜査員が、血眼になって探し求めている、エル・チャポが青色のウールのシャツを着て、満面に笑みを浮かべて、俳優一行を待っていた。すると、ホアキン“エル・チャポグスマンは、大学から帰郷して来た娘を迎える父親のように、ケイト・デル・カスティヨをハグした後、ペンに握手を求めてきた、とペンはレポートに書いている。


  我々は食べ、かつ盛んに飲んだ。すでに夜のとばりが降りた10月2日と翌日はインタービューの予定はなく、我々は顔つなぎだけの予定だった。しかし、ペンは偶発的に質問をし続けた。エル・チャポとペン間の通訳はケイトが勤めた。

 例えば、「あなたが取引している、色々な文化を持つ国々の中で、どの国が一番難しいですか」と訊いたところ、エル・チャポは直ちに「一つもないね」と断定した。

7時間にわたって、ペンとエル・チャポは、政治、中東、ドナルド・トランプ、家族、麻薬、ビジネス、生と死等について語り合ったが、ペンは一切メモを取らなかった。


 タコスを食べ、テキーラを飲みつつ両人は、インターヴューは今回ではなく8日後に行うことに合意した。その代わりに、ペンは彼とのツーショットの写真を記事が掲載される、雑誌「ローリング・ストーン」の編集者に見せたいと要請したところ、OKを得た。

二人は握手してカメラを注視したが笑顔はなかった。アルフレッド・グスマンが歴史に残る(とペンは胸を張る)写真のシャッターを押した。トップの写真がそれである。


  麻薬ギャングの隠れ家で別れて三日後、メキシコから報せが届いた。両人が会った隠れ家付近は、メキシコ海軍陸戦隊による、エル・チャポ一味の厳しい探索作戦の標的になっている、というものだった。昨10月16日、ペーニャ・ニエット政権は、麻薬ギャングはメキシコ海軍の攻撃によって負傷を負った、と発表した。


  麻薬王・エル・チャポからの連絡は途絶えた。ペンはこれを口実にすることを嫌い、面談から8日後、約束通りにメキシコ某空港に到着して、彼からの連絡を待った。

「約束を守ったことを知って欲しいと思い、空港で数時間待った」とペンは語ったが、その日、エル・チャポからの接触はなかったため、ペンとケイト一行はロサンジェレスへ帰った。


  翌週からの数週間は困難を極めた。ペンとケイト・デル・カスティヨはエル・チャポとコンタクトを取ろうと、考えられる限りの様々な方法を試みたが、不可能だった。ブラック・ベリーのスマフォを通じてのエル・チャポからの返信は短く、要領を得なかった。無理もなかった。俳優たちも、ようやくDEA(米国連邦麻薬局)が彼ら二人を監視していることに気がついていた。当然、二人のメキシコへの旅もDEAとメキシコ検察庁に察知されていた可能性がある。そしてこれがエル・チャポ逮捕に繋がったというメディアもあるが、何故3ヶ月後だったのか。


  ペンはDEA監視網の裏をかいて、米墨国境を車のトランクに隠れて越境、麻薬組織の代理人と連絡を取ろうと考えていた。米国から陸路メキシコへ入国する際は、検問なしでフリーパスなのである。しかし、その必要はなかった。両人は種々のメディアを通じてエル・チャポと交信できた。そして、一つの合意に達した。それは、ペンが訊きたい質問をメキシコへ送り、これに返答する形で、エル・チャポがヴィデオ出演することに決まった。


 恐ろしく長い間待たされたが、ついにケイトのメールに待ちに待った、エル・チャポからのマルティメディアのファイルが送られてきた。録画には特徴あるヒゲがないエル・チャポがカメラに向かって直接話しかけている。

先ず初めに、このインタービューの内容はセニョリータ・ケイト・デル・カスティヨとショーン・ペンの両人に独占的出版権を与える、と語っている。


さてホアキン・エル・チャポ・グスマンとのインタービューは次回、くわしく報告したい。(続く)


イメージ 1
イメージ 2


             最悪麻薬ギャングの再逮捕

イメージ 3
                                            (reforma.com)

  メキシコ最悪の麻薬ギャング・ホアキン・グスマン“エル・チャポ”がメキシコ市近郊の、脱獄不可能と言われた、アルティプラノ刑務所を脱獄したのは、去年の711日だった。

そして6カ月後の先週18日、グスマンはメキシコ北部のシナロア州・ロス・モチス市(人口26万)でメキシコ海軍陸戦隊によって再逮捕された。


 エル・チャポ・グスマンが逮捕されるきっかけは、彼が自分の自伝映画を製作しようとして、映画関係者と接触を持ったことを察知したことだった、と連邦検察庁が明らかにした。

検察庁はその後エル・チャポ・グスマン側が女優と映画プロジュ―サーと会ったこともつかんだ、と検察庁長官のアレリー・ゴメスは語った。エル・チャポの弁護士が映画関係者と再三会っていたこともつかんでいた。


 何しろ彼はロビン・フッドのような義賊を気取っているので、映画で義賊ぶりを誇示したかったのだろう。


 逮捕の模様を検察庁長官のゴメス女史は次のように語っている。ロス・モチスのエル・チャポの住居に到着した海軍陸戦隊は、中から強力な銃器による攻撃を受けた。エル・チャポと一の子分である、ホルヘ・イヴァン・ガステルンは122人の「犯罪組織員」たちの援護射撃を得て、市の最高級の住宅街の住居の雨水暗渠から下水道に抜けて逃走をはかり、車に乗り込んだ。


 エル・チャポが現場から逃げおおせたのは、彼が複数の幼児を伴っていたため、陸戦隊員が発砲を躊躇したのが原因だと、長官は説明した。しかし、陸戦隊はその後、ヘリコプターを駆使して、エル・チャポとイヴァンの逮捕に至ったのである。


 読者諸氏は、なぜ海軍が麻薬犯罪に関与するのか、と疑問に思うだろう。これには訳があって、麻薬組織との戦いは、当初は検察庁の捜査官が担当していたが、強力な武器を持つ、麻薬犯罪組織に、彼らは対抗出来なかったのである。そして投入されたのが、陸軍だった。

  が、恥ずかしながら、メキシコ陸軍は上部の将官から末端の指揮官まで、すべて麻薬組織に買収されて役立たずになった。そこで、数年前から、海軍が投入されたのである。


さて、麻薬ギャングは8日の夜、昨年彼が脱獄した、アルティプラーノ刑務所に海軍のヘリコプターで連行されて、再度収監された。

  エル・チャポ・グスマンの再逮捕を発表した、メキシコの大統領は、「これで任務は果たした」と胸をはったが、これからが大変である。


 エル・チャポが脱獄したのは、「メキシコから米国への彼の引き渡し」から逃れることだったと信じられている。

米国司法当局は現在、6か所の地検がこの麻薬ギャングの引き渡しを要求している。

  即ち南カリフォルニア地検、東ニューヨーク地検、北イリノイ地検、ニューハンプシャー地検、西テキサス地検、南ニューヨーク地検である。


 エル・チャポ・グスマンは合計465トンのコカインを1999から2014年の間に米国に密輸入した、として告発されている。その他13件の殺人を含む21件の刑事事件の容疑者になっている。そして、エル・チャポの引き渡し要求は、米国司法大臣が強固に主張しているので、ペーニャ・ニエット大統領も無視できないだろう。


 米国の司法が他国、例えばメキシコと違う点は、エル・チャポのような反社会的麻薬組織の主導者の裁判において、検察側は「被告が麻薬を扱い、運搬していた」等の行為を証明する必要がなく、単に被告は「麻薬取引を主導、連携していた」と査定するだけで有罪にできることだ。

  そのうえ、大統領命令によって「米国への引き渡し」の煩雑な手続きが省略され、合衆国への彼の身柄引き渡しが早まることをエル・チャポは憂慮していた。

彼は弁護士を通じて、メキシコ外務省へ「犯罪人引渡し請求への差止訴訟の手続き」をこれまで数回提出している。


  大統領はともかく、メキシコの政治家、官僚、軍人たちの中には、エル・チャポに米国官憲との司法取引で、メキシコ側の「あることないこと」を暴露されることを恐れている者たちが多い、とささやかれている。

有り余る資金を有する、最悪麻薬ギャングとのメキシコの戦いはまだまだ続くのである。(終わり)

↑このページのトップヘ