アメリカ便り

アメリカ便り Letters from the Americas 様々なアメリカ&メキシコ事情と両国の小話

2016年03月

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アラモ・シティ(サン・アントニオ)からビッグ・アップル(ニューヨーク)4

            

              クロケット最後の住まい


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 3日目・1221日(月)天気:雨のち曇り 14/10

 ジャックソン・シティのホテル・フェアフィールド・マリオット106号室で目覚める。雨が降っていた。8時、一階でビュッフェの朝食。フルーツ、ヨーグルトとオートミールを食べる。9時、ホテルから37キロの地点にある、テネシー州・クロケット郡のアラモ・シティに向かう。高速412号線を30分走って、郷土の英雄・デイヴィッド・クロケット終焉の地・アラモの名を冠した、人口2.108人の市に着く。市役所は郡裁判所の建物内に入っている。トイレに入ると、たまたま隣の紳士が市長さんで、「東京から来た」と言ったところ、「遠いところから、よく来てくれた」と大変喜んでくれ、記念写真に応じてくれた。アラモ・シティを一歩外に出ると、冬にも関わらず青々とした田園地帯が広がっていた。

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 アラモ・シティから州際道路45Wを走ること30分、ラザフォード市(人口1,151人)内のアメリカにおける、クロケットの最後の住まいに向かった。すると、町の入り口付近に制限速度31の標識があった。何故30ではなく31㍄なのか、不思議也。


中学校校庭の端に移築されている、クロケット・キャビンとは、彼と彼の家族が182235年まで13年間暮らした住まいである。190年前とは言え、とても合衆国連邦議員の自宅とは思えない質素な家である。いかにも清貧に甘んじたクロケットらしい佇まいの住まいは、現在クロケット・キャビン博物館として一般に公開されている。

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  ところが、ドアに「急用で外出中。ご用のかたは電話してください」との張り紙があった。さっそく息子の剛が電話したところ、ただ一人の博物館係員は「体調が悪いので自宅で休んでいる」とのことだった。


そこで、小さな市庁舎を訪ねると、女性職員が二人と2メーターくらいの大男の赤毛の警官が一人いた。事情を話すと、「わざわざTokyoからいらしたのですから」と言って、すぐ代わりの職員を派遣する手配をしてくれたのは有難かった。待つこと15分、係がゴルフ・カートで到着した。

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 早速キャビンに入ると、一階には二部屋ある。手前の部屋は居間、兼寝室、兼書斎で、右壁の大きな暖炉前にソファ、事務机と椅子がある。左手にはキング・サイズのベッドがあった。ベッドの上には商品である、書物、Tシャツ、洗い熊の毛皮のクロケットの帽子等が並べてあった。正面の壁にはクロケットの狩りの獲物である、巨大な熊の毛皮が飾ってある。隣の部屋は左手に大きな流しがあり、正面にはかまどが二つあった。かまどの上にガラス窓がある。ここは日本で言うところの、ダイニング・キッチンで小さいテーブルに椅子が4脚あった。キッチンには当時の食器、道具類、クロケットのライフル銃、ピストル、その他用途不明のガラクタと何故か手錠が二組ガラスケースに収まって展示されていた。

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  外からは見えないが、この家には二階(屋根裏)がある。階段を上ると、部屋にベッドが三つと椅子二つと機織り機がある。クロケット夫妻がこの家に引越して来た1822年当時、彼らには6人の子供たちがいた。上の三人は亡くなった先妻ポリーとの子たちで151310才。後妻のエリザベスとの子は641才の3人で、合計男女3人ずつの計6人だった。階下の寝室にはクロケット夫妻と小さい二人の娘たちが寝たのだろう。とにかく、1822年当時、この小さい家に親子8人が住んでいたことになる。

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  博物館を開けてくれた、男性は隣接する中学校の用務員らしい人だったので、内部の説明は受けられなかった。しかし、やっと念願が叶ってクロケットの住まいを隅からすみまで見ることが出来たのは望外の幸せだった。

息子と私はクロケット関係の書籍と洗い熊の帽子、Tシャツ等を購入して、次の目的地、ナッシュビルに向かった。なお、我々の見学中、他の訪問者はなかった。


 ラザフォード近辺はなだらかな丘に畑が広がり、所々に林がり、道路沿いには湿地帯が見える。クロケットはこの湿地帯に、村人と共に長い丸太を縦に並べ、その上に板を敷いて木道を作った話を、ワシントンの同僚議員に語ったことがある。そのとき、クロケットはこの木道をRailroad(鉄道)と呼んだものだから、同僚たちは、クロケットは鉄道を作った、と大評判になったのである。ところが、クロケットたちはrailを棒とか横木の意味で使って、「木の道=Railroad」と称していたのだ。やがて、物知りの議員が鉄道はまだテネシーには届いていないぞ、と言ったものだから、クロケットの「はったり」がばれてしまったのである。


 ナッシュビルまでの3時間の道中、クロケット・キャビンで買った、郷土史家Ernest Thompson [The Fabulous David Crockett]を読んでみた。すると、興味深いエピソードが二つ見つかった。

1.1934年、ラザフォードの東方8㌔に住む農民がラザフォード銀行にやってきて、頭取のMr. Elrodに彼の隣人がデイビッド・クロケットの旧家を取り壊そうとしている。ぜひその旧家を銀行で買ってくれないか、と頼んだのである。すると、頭取は35ドルで旧家を購入し、家を解体してラザーフォードに持ち帰った。その後、不景気だったことや第二次世界大戦の勃発により、旧家の再建は延び延びになり、現在の場所に再建されたのは、1955年のことだった。

2. 1834年の下院選挙に落選してラザーフォードの自宅に戻ったクロケットが、テキサス出発前に書いたと言う文書が紹介されている。但し出典は明示されていない。

「私の政治生活は終わった。選挙は230票の差で敗北した。ジャクソン市のユニオン銀行の幹部(複数)によると、ミスター・ハンツマン陣営は選挙民を一票25ドルで買収した、と言う。これは実に良い金高で通常なら一票2ドルで買収できる」

と彼は書いているが、それは一般的な話で、貧乏だったクロケットに選挙民を買収する金はなかった。が、彼らにラム酒を振る舞った話はクロケットが好んで語ったので、いつしか伝説となった。

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  11時半にラザーフォードを出て、2時半過ぎにテネシー州都ナッシュヴィルに着く。 腹が減っては戦ができぬと、レストランを探したが、どこも3時には閉店してしまう。やっと、見つけた店は、415 Union St. にあった。住所が店名になっている[415 Union]はアメリカ料理の店だった。南部スタイルのポーク・チョップがおすすめだというので、食べてみた。「空腹は最高のソース」だから食べられたがひどいものだった。店を出るとき気付いたのは、レジの壁に「Japs降伏!」という1945816日付号外が張ってあったことだ。後で調べると、Union 415 は米国陸海軍のベテランが集う店だった。こういうアメリカ人たちもいるのだ、と認識を新たにしたのだった。

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  ナッシュヴィルの宿はダブル・ツリー・ホテルにとった。車を駐車場に入れ、プリンターズ通りの、バーボン・ストリート・ブルース&ブーギー・バーと言う、長い名前のミュージック・バーまで歩く。店に入ると、60代の味のある男性がエレキを弾きながら、チューバの伴奏でブルースを歌っていた。実に良い雰囲気のバーである。タンク・トップに黒の肩掛けを羽織った、バーテン兼ウエイトレスのすごい美女が踊るように注文を取り、飲み物を準備し、配っていた。アメリカ人はビールしか注文しないので、我々はカクテルを注文して彼らと差をつける。カクテルを飲みながら、本場もののブルースを堪能する。


 8時、近くのイタリアン・レストラン・Il Mulinoにて軽い夕食。クラン・チャウダーとラヴィオリを食べる。絶品。キアンティ赤のサンタ・クリスティーナも良かった。歩いてホテルに帰り、10時半就寝。明日はクロケット生誕地と子供時代を過ごした家を見る予定。

(この項終わり)


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                   冷たかったわよ

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                              at.webry.info.com

  二人の老婦人、キャシーとマーサが美術館で名画、彫像を鑑賞しているうちに離れ離れになってしまった。


 再び一緒になると、キャシーはマーサに、「階段のところにあった、男の彫刻を見た?」と聞いた。


 「見たわよ」とマーサは答えた。


 キャシーは「正直言って、ショックだったわ。なんであんなものを陳列するのでしょう? いくら何でもペニスが大き過ぎるわよ」と眉をしかめた。


 すると、マーサは声を潜めて言った、

「しかも冷たかったわよ」


 お後がよろしいようで……


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                 歴史は繰り返す?


   2016大統領選は1824年と酷似 


今週米国の政治専門紙・POLITICOが今回の共和党予備選は1824年の大統領選に酷似している、という記事を配信しました。非常に興味深いので、皆様にご紹介する次第です。

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                                  Wikimedia Commons

  アメリカ大統領選史上、今回のような候補者はかつていなかった。候補者を中傷する人々は彼の政治経験不足、政策理解力の欠如、独裁者的性格、疑わしい過去を指摘する。マスコミに言わせると、彼はまともな政策は持っておらず、(しかし面白い髪形は持っている)大統領になる資格と気質も持っていない。

  それでも、従来の経験則に逆らって、彼はホワイト・ハウスへのレースに於いて三人の主要な競争相手を引き離しているので、党のお偉方は対応すべき策も持たず、途方に暮れている。NO!これはドナルド・トランプではない。彼の名前はアンドリュー・ジャクソン、そして話は1824年にさかのぼる。


 アンドリュー・ジャクソンはアメリカ最初の政治的異端者の一人だった。南部辺境の貧しい移民の子として生まれ、気が短くて激しやすく、極端に挑戦的な人物だった。喧嘩早いジャクソンは、ある決闘において、胸にピストルの弾を受けながら、相手を殺害したこともある。

  意志が固く、戦略的に優れていたジャクソンは、彼の世代の最も偉大な戦争のヒーローに上りつめた。支持者たちから、ヒッコリーの古木と愛称された彼は、大統領選の三人のライバル、ジョン・クインシー・アダムズ、ウイリアム・クローフォードとヘンリー・クレイたちは夢想するだけで決してできなかったこと、即ち、アメリカ国民を感激、発奮させる術を知っていた。

  何万人もの人々が「共和国の忠実な擁護者」と彼自身が位置づけていた、カリスマ的異端者のもとに群がってきた。ジョンソンの演説集会は彼のライバルたちの集会とは比べられない大聴衆が集まってきた。

  彼は政治経験は持っていなかったが、古臭い政治的因習も持ち合わせなかった。彼の競争相手は、ジャクソンは政治に本気で取り組む候補者ではなく、単なる有名人の遊びに過ぎないと感じていた。


色々な点で、1824年の総選挙は今日の共和党予備選によく似ている。

その数年前の連邦党の崩壊後、当時のアメリカは実質的に一党独裁体制だった。そして四人の大統領候補は同じ民主共和党(Democratic-Republicans)の党員だった。従って、1824年の本選挙は予備選の延長のようなものだった。予備選は国家の方向性ではなく、政党の運命を決定するものだからである。そして、今日の共和党のケースと同様に1824年の投票者はあまりの選挙事情の変化に落着きを失っていた。その上最も人気のある候補者は、党の指導者層に容認されないと見られていた。


 1824年の選挙でジャクソンは大統領一般投票と代議員票数に於いても大差をつけて勝利して、ライバルたちを動転させた。ジャクソンは99名、アダムズ84名、クロフォード41名、クレイ37名の代議員を夫々獲得した。ジャクソンは完全過半数には届かなかったが、疑いもなく、ホワイト・ハウスに最も近い位置に到達した。

  しかしながら、絶対的勝者がいなかったため、決論は最下位のヘンリー・クレイが議長を務める、連邦下院議会の場に持ち越された。すると、クレイ議長はトップのジャクソンではなく、二位のアダムズへの支持を表明したのである。

こうしてジョン・クインシー・アダムズが第6代大統領に任命されると、アダムズはクレイの尽力に報いるため彼を国務長官に抜擢した。


 ジョンソンを中傷して来た人々にとって、これは正当な決断だった。クレイは絶対的過半数に達しなかった、彼の対立候補のジャクソンを「年老いた軍の有力者」と得意そうに呼んだ。因みにジャクソンは当時57才だった。


 一方、歴史家のダニエル・フェレールによると、アダムズは合衆国が生んだ、大統領に最適任の有能な政治家だった。クレイと彼の支持者たちは、アダムズは誠実な人物であり、国家を一元化させ得る彼を選択したことは、大多数の一致した意見であった、と信じていた。


  しかしながら、怒り狂ったジャクソンはこの決断は政治的不正取引である、と非難した。ジャクソンの観点からすると、クレイとアダムズは共謀して国民の意志をないがしろにして、彼ら自身の利益のために、最有力候補を差し置いてアダムズを大統領の座に着かせた、と言うことになる。真相がどうであろうとも、この決定は逆効果を招いた。

 この非道な決定はジャクソンを硬化させ、彼はアダムズ政権は腐敗政権であり、国民感情に疎いと批判した。更にこの件はジャクソン支持者たちをも怒らせ、広範囲の政治家と一般選挙でジャクソンに投票しなかった、有権者さえもジャクソン側に合流させた。そしてこの連合は新しい政党―民主党(Democratic Party)誕生へと進展した。

 これはまた4年後、最も尊大かつ議論の余地のある大統領の一人である、アンドリュー・ジャクソンをホワイト・ハウスへ送りこむカタパルトとなった。

その一方、ジョン・Q.アダムズは不安定な地位と非合法大統領である、と言う非難に悩まされながら、平凡な4年の任期を終えた。


  議論の余地があった1824年に続く1828年の大統領選挙は、確かに史上最悪の中傷合戦の繰り広げられた選挙運動だった。ジャクソン支持者はアダムズを無力なエリート主義者だと、酷評した。例えば、トランプの悪口雑言にも勝る、ジャクソン支持者の口撃において、アダムズの駐ロシア米国大使時代、ロシア皇帝にアメリカ人処女を提供した、とまで主張した。彼らは実際、アダムズ大統領をポン引きと呼んでいた。


 一方、アダムズと彼の支持者も反撃に出て、ジャクソンは正式の教育を受けていないため、スペルに間違いが多いとか、重婚者であるとか、その他些細な違反行為をとがめた。仕舞いには彼は軍人時代、幾人かの部下を殺害した殺人者である、とまで攻撃した。驚くべきことに、これらの告発はすべて事実だった。

 しかし、これらの告発はジャクソン支持者たちに何らの影響も与えなかったどころか、ジャクソン反対派にジャクソン派の結束の強さを知らせる、逆効果を生んだ。また、これらの告発は、「ヒッコリーの古木」の人気を高め、彼は他の政治家とはまったく違うタイプの男である、と強調される始末だった。

 ジャクソンは彼が率いた軍隊による、クリーク戦争の勝利の結果、クリーク族から賠償として獲得した数百万エーカーの土地を、南部の「土地なし農民」に安く提供して彼らから神のごとく敬われていた。疑いなくこれがジャクソン人気の理由の一つだった。


1828年の大統領選挙でジャクソンは圧倒的な勝利を収め、第7代大統領に就任した。

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                    Washington Post

 さて、2016年に戻ると、共和党の公認候補指名を目指す、ドナルド・トランプは、今週15日のミニ・スーパーチューズデイでオハイオはケーシックに譲ったものの、党上層部の秘蔵っ子である、ルビオの地元フロリダで勝利、独走態勢に入った感がある。15日までの各候補の代議員獲得数は、トランプ673、クルーズ411、ケーシック143となった。なお、ルビオは撤退を表明したので、今後はこの三候補だけに絞られた。

しかし、共和党上層部には未だアダムークレイ1824年方式によるトランプの指名阻止に向けて、「出来ることはすべて行う」と言う一派がある。

 例えばリーダーたちは7月のクリーブランドで開催される党大会で、何らかの秘策を模索しているらしい。それにはトランプに代議員の過半数を獲得させない必要がある。


今になって、トランプに不満の党上層部は、公認候補者指名に必要な1,237人の代議員たちにトランプを見限るように圧力をかけ、党大会を反トランプに仕向けようと考えている。このような動きが正当だと言えるのなら、1824年の大統領選でクレイとアダムズの間で取引されて、破滅を招いた決断と同じことを繰り返すことになる。

 もし1824年のようなことが繰り返されるならば、傷ついたトランプは、これは不純取引であると告発するだろう。そしてそれは十分にトランプに分がある。

1824年の選挙は、「古いルールがまったく通用されなくなった、政治的転換点となった」と認識されている。歴史家のティモティ・ナフタリは、「あの年起こった変化はもはやアメリカ国民は彼らの代理人が大統領を選ぶことを望まなくなったことである」と述べている。アメリカ国民は彼ら自身で大統領を選ぶことを望んだのだ。共和党上層部はこのことを忘れてはならないだろう。


 中傷者たちがトランプの政治とジャクソンと同じ彼の気質をどう思おうと、トランプは多くの国民からの支持を受けている。彼が先週の共和党ディベートで次のように述べた。

「何百万もの人々が投票所へ足を運んで投票しています。率直に言って、この中の多くの人々はこれまで一度も投票しなかった人々です。この事実は、1980年以来、今回の共和党予備選の総投票者数がいかなる年度より多いことによって裏づけられています」


 もし1824年の教訓をトランプが最有力候補である、今日に当てはめるならば、トランプを公認候補に指名しないことは、彼の支持者たちの不満を爆発させ、より強固な態度を取らせることになりかねない。

 この動きはトランプをワシントン政治に不満を持つ人々及び社会からのけものにされた人々の広範囲な連合体のリーダーへと発展させる可能性がある。

そしてこの動きはちょうどジャクソンがそうであったように、彼を党公認候補とし、4年後と言わず今回、彼をホワイト・ハウスへと進める可能性がある。

 ルビオの地元フロリダで彼に完勝したトランプは、予備選最終日の67日、南ダコタ州の結果を待たずして、過半数の代議員1,237人を獲得する可能性が高いのである。

(終わり)


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        トランプを支持する人々とその理由
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「アメリカをもう一度偉大な国にしようーMake America Great Again」。これがドナルド・トランプの選挙スローガンである。そして、これが大受けしている。ということは、多くのアメリカ国民がトランプに「アメリカをもう一度偉大な国にする任務をまかせよう」としていることになる。
先月の予備選挙の世論調査結果を見ると、トランプ支持者の大部分は白人男女であるが、彼らの収入、教育水準、宗教そして保守性の程度は多岐にわたっている。そして今やトランプ支持者は白人以外にも広がっている。 
トランプ支持者が持つ政治上の主な懸念は、テロリズム、国家安全保障、経済問題と国家の負債である。これらの懸念はトランプ支持者だけのものではなく、共和党員の懸念でもある。トランプはこれらの支持者の投票によって、南部5州、北東部3州及び西部のネヴァダ州の共和党予備選挙で勝利を収めている。(31日現在)
 
 さて、ワシントン・ポスト紙のジェンナ・ジョンソンとホセ・デルレアル両記者はスーパーチューズデイの後、各地のトランプ支持者たちにインタービューを試み、「なぜトランプを支持するのか?」を聞き出している。この記事は2016年の共和党の予備選とトランプを理解するうえで実に興味深いので、トランプを支持する人々とその理由をご紹介したい。
 
キャロル・ウイリアムスはテネシー州の自営業の61才の女性である。
「予備選が始まった当初、彼は私を楽しませてくれました。そのときは、こんなに支持を集めるとは思ってもいませんでした。しかし現在、彼が主張することすべてが気に入っています。彼が話すことは全部、私に話しかけているように思えるのです」
 
デビー・クロウはテキサス州オースティンの不動産セールス・ウーマンである。
「私は長い間、ブッシュ・ファミリーの信奉者でした。しかし、職業的政治家には愛想がつきました。予備選のディベートを聞き始めると、彼の頭の回転の速いことと正真正銘の正直者であることに感服しました。今や私はトランプの信奉者です」
 
エデン・デンプシーはジョージア州に住む、フィリッピンからの移民の女性である。
「トランプは国の負債問題の解決と不法移民の厳重取締を行ってくれる、と確信しています」
 

 ダリン・ハーンはルイジアーナ州に住む40歳の出入口電動ゲート設置業者である。

「トランプは俺の自宅の裏庭で行う、ザリガニ・パーティーに、俺の家族や貧しい白人労働者の仲間たちと一緒に飲み、食べに来てくれるような種類の男だと思っている」
 
 トランプは、広い階層の支持者を持ち、億万長者らしからぬ、きさくでカリスマ性のある人物である。多くの場合、それは矛盾しているようにも見える。
つまり彼はごく普通の人間であると同時に、華やかな億万長者でもある。彼は人々を団結させる力を持つとともに、したたかな闘士でもある。彼は社会問題を論じない政治家であるが、妊娠中絶に反対の最高裁判事を任命すると公約している。柔軟性があるのだ。
 
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(taringanet.com)
最近ワシントン・ポスト紙が行った、全米各地のインタービューで、彼の支持者たちは、彼らがトランプの好ましいと思っていることを異口同音に繰り返し語ってくれた。
 トランプは彼の支持者たちが常日頃言いたくても言えない、人種差別主義、性差別主義、外国人嫌い或いは政治的に見て穏当でないことさえも恐れずに主張してくれる。
トランプは大規模献金者のためではなく、彼らのような庶民のために積極的に交渉してくれるビジネスマンなのである。トランプは家庭的でうそをつかない、エンターテイナーであり、そのうえメディア、政界上層部、果てはローマ教皇を口撃することさえ恐れない、政治の門外漢(outsider)であることが人気を呼んでいる。
 
   トランプはふつうの男である
 「俺は政治家のことはよく知らないが、常識として彼らがどういう存在かは理解している」と乱暴な言葉使いをする、41才のダリン・ハーンは言った。
「トランプを大統領に選んだならば、やるべきことはやってもらう。そうでなければ選ぶ価値はないじゃないか」と言うダリンは義弟のマーティンとともにルイジアーナの首都で行われる、トランプ支持集会にやってきた。
そして二人は土曜日に彼に投票するつもりである。二人にとってトランプは彼らと同じ様に「人を説き伏せる術」を知っている男だと評価している。
 
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 (businessinsider.com)
ハーンは誰とでも恐れずに話すことができる。合衆国大統領とだって話すことが出来る。俺はしなければいけないことをやり遂げる主義だ。トランプは俺と同じやり方をとっている。彼は豪華な自家用機の中で、Windyのハンバーガーを食べるような面を持つと同時に、ボーイング757機を持つ億万長者でもある。
だからこそ、彼の支持者たちは、トランプは彼らと同じ普通の人ととらえているのだ。
 
             私は今やトランプの信奉者です
 今週、オースティンで不動産セールスの仕事をする、デビー・クロウはジョージア州で行われる、トランプの支持者集会に行くつもりである。トランプは彼女が商用でよく行く、ゴルフ・クラブで会えるようなタイプの人だと思っている。クロウは続ける。「彼はワシントン政界を変えてくれる、唯一の人だと思う」。彼女はかつてジョージ・HW・ブッシュ大統領と当時テキサス州知事だった、息子のジョージ・W・ブッシュを支持していた。
 したがって最初、トランプは単なるTVのエンターテイナーだと思っていた。しかし、予備選挙のディベートを聞き始めると、彼の頭の回転の速いことと正真正銘の正直者であることに感服する。彼女はトランプの民主党から共和党へ転じたこと及び人工中絶賛成から反対に変わったことへの説明の仕方が気に入った、と言う。今や私は彼の信奉者です、とクロウは言った。テキサス州の大統領予備選の期日前投票の最後の日である先週の金曜日に、彼女はトランプに一票を投じた。そして、週明けに彼女は南ジョージアのトランプの支持者集会に仲間たちと参加した。
 
 クロウが参加していた、同じ集会会場にいた、テネシーのエデン・デンプシー(66才)はトランプに渡したいと思っている、質問を書いた書類を持って来ていた。質問の一つは「大統領としての最初の4年間で政府の負債をどの程度削減しようとお考えですか?」だった。
デンプシーは1975年、20代のとき、フィリッピンからアメリカに移住して、アメリカ人の夫と結婚した。彼女はすぐに言葉を覚え、小さなレストランを開業した。そしてアメリカ文化に親しむうちに、トランプのTV番組を見て彼のファンになった。そのうちに彼は彼女と同じスタイルの子育てをしていることに気付いたのである。即ち、「子供たちにしっかり勉強して、懸命に働けば、きっと道が開けて来る」という教えが二人の共通点だった。
 
 すでに定年退職したデンプシーは、米国の債務が風船のように膨張し続けていると言うのに、政府が社会福祉に多額の予算をつぎ込んでいることに驚愕している。特に、この恩恵に彼女のように正規の手続きをして移民してきたのではない、不法移民も与っているのは不合理である。国は予算的に余裕がないときは節約すべきである、と彼女は考える。私は誰かが政府の支出問題を解決して欲しいと思う、とデンプシーは語った。みんな、みんながこの件について語るが、誰も行動を起こさない。が、トランプはきっとやってくれると、彼女は期待している。
 
STOPトランプでスクラムを組む…
 熱心なトランプのファンたちは、数年前からとまでは言わないが、昨年6月に彼が立候補したときから支援し続けている。しかし、トランプに投票する多くの人々は、共和党予備選のディベートが白熱化し、トランプの支持率が上昇し始めた、昨秋からのファンが大部分である。トランプの支持者集会、または選挙運動集会(Rallyと言う)は反対派の攻撃目標になって来たが、それがかえって彼の評価を高める結果となったのは皮肉である。
 トランプ・ファンの彼への信頼度は非常に高い。トランプは一度ならず彼のファンたちは、「私は何でも、多分殺人さえ、出来ると信じているらしい」と、ジョークとして語っているほどである。そして彼はそういう票を一票たりとも失わない、と決意している。
 
 トランプはマスコミによる「エラー探し、反トランプ報道」には一顧だにしない。ワシントン政界はトランプに対して不信感を持っているが、マスコミはそれに輪をかけてトランプを嫌っている。こう言う情勢の中で、かなりのトランプ支持者はマスコミ報道は、彼のスピーチを聞き、読むだけで、彼らの選挙に関する情報はトランプのTwitterに頼り、彼だけを信用してマスコミは信用しない、と言う。
 
 「FOXニュースでさえ、トランプは馬鹿げていると表明して来た」とテネシーのデイビッド・グラハム(61才)は語る。MSNBC,ABC,CBS,CNN等の巨大メディアは、そろってトランプを血祭に上げようとしている、何故だ?とグラハムは怒る。 
マスコミはトランプを大統領にしたくないのだ。ワシントン政界も政界の異端者を嫌っている。
 
トランプは選挙運動集会に於いて、世論調査による、彼の高支持率を自賛している。先月、彼は最新の世論調査の結果を自賛したが、その中で彼は、出口調査には表れない、いくつかの特徴について次のようにコメントしている。
「ニューハンプシャー州の勝利後、我々は金持ち、貧乏人、太った人、やせた人、背の高い人、低い人の支持を獲得した。我々は女性票も男性票も獲得した。我々は高学歴の人々、学歴はないが賢明な、賢明な人々の票を獲得した」
 
 南カロライナとネヴァダ州の勝利の後、トランプは強力な政治家たちの支持を獲得した。この事実にトランプはいたく感動していた。「私は今や主流派になりつつある」と言って。
 
 スーパーチューズデイの予備選に於いて11洲中7州で勝利を獲得した後、トランプは共和党を成長させるとともに、「一本化する」と公約した。
「私が党を統一して見せる。私は共和党員が一つにまとまり、一本化するのをこの目で見たい。そして我々が一本化した暁には、誰も我々を打ち負かすことは出来ないだろう」とトランプは力強く語った。
(終わり)

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                「そういうことなら…」

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                                        cosmopolitan.com.fr

 巨大なスーパーマーケット内でショッピング・カートを押しながら走っていた二人の男性が、出合い頭に正面衝突した。


  50代の男はもう一方の若い男に、

「失礼しました。女房を探していて急いでいたものですから…」と謝った。


 すると若い男は、「偶然ですね!私もですよ。でも少々疲れました。」と言った。


 「何ならお手伝いしましょうか?奥さんの特徴と服装を教えてくださいな」

50男は言った。


 「背が高くて、髪の毛は明るい栗色、脚はすらりとしていて、豊かな胸を持ち、白のブラウスを着ています。一口で言えば美人ですね。それで、あなたの奥さんの特徴は?」と若い男。


 「いやぁー、そういうことなら、あなたの奥さんを探すのを手伝いますよ。

私の古女房はどうでもいいんです。多分、ハム、ソーセージ売り場で試食でもしていまよ」

50男は言った。


 お後がよろしいようで……


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