トランプとTPP
見返りなしに何かを手放す
写真:(Gary Cameron/ Reuters)
【前書き】 1月20日に就任したD・トランプ大統領は、“America First”のスローガンのもとに、早速オバマ政権の政策を大統領令によって廃止し始めた。23日には、日米等12ヶ国が参加予定のTPP(環太平洋戦略的経済連携協定)から離脱する、との大統領令に署名した。
以下は合衆国の対外政策決定に重大な影響力を持つ、同国の超党派のシンクタンクである、CFR(外交問題評議会)が運営するブログ[Renewing America]に掲載された、同会理事、特別研究員・Edward Aldenの論文[Trump and TPP: Giving AwaySomething for Nothing] の全文引用である。
さて日本が「アメリカ第一」に凝り固まるトランプに対処するには、先ずケント・ギルバードが説くように米国依存症から離脱することだろう。
トランプ大統領は自分がしたたかな交渉人である、ということを好んで口にする。同氏の弁護士のマイクル・コーエンも選挙運動中、「トランプ氏はわが国屈指の驚嘆すべき交渉人であるとともに商売上手で、難問の処理に長けている」と得意げに吹聴していた。
しかし、大統領としての初日、トランプは早速通商交渉について何も分かっちゃいないことを証明してくれた。
彼はTPP条約からの撤退によって、通商分野における最大の課題である、世界第二の経済大国・中国による、益々増えつつある厄介な振る舞いに打撃を加えることができる、最大の手段を放棄したのだ。
いかなる交渉においても、鉄則第一条は「見返りなしに何かを手放すべからず」である。
トランプはこの鉄則を破った。外交政策アナリストである、ダン・ドレズナーはツイッターでこうつぶやいた。「北京から彼らの乾杯する、シャンパン・グラスのカチンという音が聞こえてくる」と。
もちろん、トランプのTPPからの撤退決断はサプライズではない。彼は選挙期間中、TPPからの撤退を力説し、「我が国を破壊したいと欲している者どもによって仕組まれた大失策であるTPPは、将に我が国を略奪し続けている」と理由付けていた。
大統領選挙の数週間後に収録された、ヴィデオで彼はTPPから撤退すると公約したが、この条約はすでに2015年10月に締結されているものの、未だアメリカ議会の批准は得られていないのである。
しかし、彼と彼の顧問たちがトランプ自身の通商政策提言内でTPP撤退によって予想される影響についての考察を行った形跡はない。トランプのゴールは、米国の物品貿易収支における慢性的赤字を解消することにあり、貿易収支に影響する多くの非通商問題はさておき、最大の問題としてトランプが注視するのは、中国である。即ち中国一国だけで、米国の物品貿易赤字の半分近くを占めているからだ。現在のWTOのルールのもとで、中国がわが物顔の態度を変える気配はない。オバマ政権は中国の12件以上のWTO規約違反事例を提訴したが、取り上げられもしなかった。
TPPは万能薬ではないが、米国にとって重要な道具となり得た。世界経済の40%を占める12ヶ国を傘下に持つTPPはその経済ブロック内に資本投下する、米国を含む企業に大きなメリットを与えたに違いない。参加しなかった中国は、相対的に不利な状態になっただろう。
何故ならば、TPP規約に従うか、あるいは投資機会の減少に甘んじるかの難しい選択に直面するはずだったからだ。
確かにTPPは完璧ではない。もしトランプが私(Edward Alden)の意見を求めてくれたならば、例えば車輸出における“原産地規則”の再交渉を勧めたい。現在、安価な中国製の部品を使って日本で組み立てられる車は、関税なしで米国へ輸出されているからだ。
疑いなく、TPPにはトランプ政権のゴールである、米国内の投資と職を増大させるためには、変更しなければならない条項がある。例をあげると、異論の多いISDS条項(投資家対国家の紛争解決)対策、及び通貨操作の禁止を義務づける条項の欠如である。
写真:(www.usweekly.com)
もしトランプに学習する時間があったならば、上記のような再交渉を過去の大統領もしていたことに気付いたことだろう。ビル・クリントンはジョージ・WH・ブッシュ大統領(パパ・ブッシュ)が手掛けたNAFTA(北米自由貿易協定)に乗り気ではなかったが、議会に条約を送る前に、労働者の権利と環境保護に関する付則を付け加えることを要求した。
オバマ大統領も息子の方のジョージ・W・ブッシュ大統領が取り決めた、韓国、コロンビア、パナマとの二国間協定について、いくつかの変更を要請していた。
トランプのTPPからの性急な撤退と対照的なのが、彼が選挙運動中批判していた、NAFTAへの対応である。たとえ彼のNAFTAへの批判に何か取柄があったとしても、彼の戦術は本物の交渉人としての技能からはほど遠いものだった。
選挙戦のスピーチから判断すると、トランプはTPP以上にNAFTAを嫌っていた。彼はNAFTAを我が国最悪の通商協定である、と非難していたほどである。
トランプはNAFTAに気乗り薄だったにも関わらず、彼の最初の行動はメキシコ、カナダ両国の大統領に電話をかけてワシントンへ招待し、再交渉のスタートを持ちかけることだった。
(訳者注:昨日メキシコ大統領はワシントン訪問をキャンセルした。)
その結果、アメリカは非常に有利な立場で再交渉のテーブルに座ることになる。選挙期間中、トランプがNAFTAからの撤退に乗り気であることを表明し続けたことにより、NAFTAの再交渉は、トランプが可能な限りの最高の条件を勝ち取ろうとしている、本気度が両国に伝わっているからだ。
たとえ今、アジア諸国間におけるアメリカへの信頼度をトランプが著しく弱め、アジアにおいて中国を、対抗する国がない一大経済大国へと変貌させる道筋をつけてしまうという、これまた重大な不安は別問題として、トランプはアメリカ経済にとってはるかに重要なTPPへもNAFTAと同じようなアプローチをすべきだった。
彼のTPPから即時撤退する、という決断は我々を不安に落とし入れ、驚くべき彼の先見性の無さを白日のもとに示してくれた。
大勢のアメリカ選挙民を魅了した、トランプの大きなセールス・ポイントは、「彼が備えているはずだった」偉大なる交渉人としての優れた能力だった。仕事始めの日に、意外にも彼はトレード・マークともいうべき、ビジネス上の「交渉」について、何も分かっていないことを世界に示したのである。(終わり)