アメリカ便り

アメリカ便り Letters from the Americas 様々なアメリカ&メキシコ事情と両国の小話

2017年01月

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                  トランプとTPP
                        見返りなしに何かを手放す
 
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写真:(Gary Cameron/ Reuters)
【前書き】 120日に就任したD・トランプ大統領は、“America First”のスローガンのもとに、早速オバマ政権の政策を大統領令によって廃止し始めた。23日には、日米等12ヶ国が参加予定のTPP(環太平洋戦略的経済連携協定)から離脱する、との大統領令に署名した。

以下は合衆国の対外政策決定に重大な影響力を持つ、同国の超党派のシンクタンクである、CFR(外交問題評議会)が運営するブログ[Renewing America]に掲載された、同会理事、特別研究員・Edward Aldenの論文[Trump and TPP: Giving AwaySomething for Nothing] の全文引用である。

さて日本が「アメリカ第一」に凝り固まるトランプに対処するには、先ずケント・ギルバードが説くように米国依存症から離脱することだろう。
 
 トランプ大統領は自分がしたたかな交渉人である、ということを好んで口にする。同氏の弁護士のマイクル・コーエンも選挙運動中、「トランプ氏はわが国屈指の驚嘆すべき交渉人であるとともに商売上手で、難問の処理に長けている」と得意げに吹聴していた。
しかし、大統領としての初日、トランプは早速通商交渉について何も分かっちゃいないことを証明してくれた。
 彼はTPP条約からの撤退によって、通商分野における最大の課題である、世界第二の経済大国・中国による、益々増えつつある厄介な振る舞いに打撃を加えることができる、最大の手段を放棄したのだ。
 
 いかなる交渉においても、鉄則第一条は「見返りなしに何かを手放すべからず」である。
トランプはこの鉄則を破った。外交政策アナリストである、ダン・ドレズナーはツイッターでこうつぶやいた。「北京から彼らの乾杯する、シャンパン・グラスのカチンという音が聞こえてくる」と。
 
 もちろん、トランプのTPPからの撤退決断はサプライズではない。彼は選挙期間中、TPPからの撤退を力説し、「我が国を破壊したいと欲している者どもによって仕組まれた大失策であるTPPは、将に我が国を略奪し続けている」と理由付けていた。
大統領選挙の数週間後に収録された、ヴィデオで彼はTPPから撤退すると公約したが、この条約はすでに201510月に締結されているものの、未だアメリカ議会の批准は得られていないのである。
 しかし、彼と彼の顧問たちがトランプ自身の通商政策提言内でTPP撤退によって予想される影響についての考察を行った形跡はない。トランプのゴールは、米国の物品貿易収支における慢性的赤字を解消することにあり、貿易収支に影響する多くの非通商問題はさておき、最大の問題としてトランプが注視するのは、中国である。即ち中国一国だけで、米国の物品貿易赤字の半分近くを占めているからだ。現在のWTOのルールのもとで、中国がわが物顔の態度を変える気配はない。オバマ政権は中国の12件以上のWTO規約違反事例を提訴したが、取り上げられもしなかった。
 
 TPPは万能薬ではないが、米国にとって重要な道具となり得た。世界経済の40%を占める12ヶ国を傘下に持つTPPはその経済ブロック内に資本投下する、米国を含む企業に大きなメリットを与えたに違いない。参加しなかった中国は、相対的に不利な状態になっただろう。
何故ならば、TPP規約に従うか、あるいは投資機会の減少に甘んじるかの難しい選択に直面するはずだったからだ。
 
 確かにTPPは完璧ではない。もしトランプが私(Edward Alden)の意見を求めてくれたならば、例えば車輸出における“原産地規則”の再交渉を勧めたい。現在、安価な中国製の部品を使って日本で組み立てられる車は、関税なしで米国へ輸出されているからだ。
疑いなく、TPPにはトランプ政権のゴールである、米国内の投資と職を増大させるためには、変更しなければならない条項がある。例をあげると、異論の多いISDS条項(投資家対国家の紛争解決)対策、及び通貨操作の禁止を義務づける条項の欠如である。
 
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写真:(www.usweekly.com)

 もしトランプに学習する時間があったならば、上記のような再交渉を過去の大統領もしていたことに気付いたことだろう。ビル・クリントンはジョージ・WH・ブッシュ大統領(パパ・ブッシュ)が手掛けたNAFTA(北米自由貿易協定)に乗り気ではなかったが、議会に条約を送る前に、労働者の権利と環境保護に関する付則を付け加えることを要求した。

 オバマ大統領も息子の方のジョージ・W・ブッシュ大統領が取り決めた、韓国、コロンビア、パナマとの二国間協定について、いくつかの変更を要請していた。
 
 トランプのTPPからの性急な撤退と対照的なのが、彼が選挙運動中批判していた、NAFTAへの対応である。たとえ彼のNAFTAへの批判に何か取柄があったとしても、彼の戦術は本物の交渉人としての技能からはほど遠いものだった。
選挙戦のスピーチから判断すると、トランプはTPP以上にNAFTAを嫌っていた。彼はNAFTAを我が国最悪の通商協定である、と非難していたほどである。
トランプはNAFTAに気乗り薄だったにも関わらず、彼の最初の行動はメキシコ、カナダ両国の大統領に電話をかけてワシントンへ招待し、再交渉のスタートを持ちかけることだった。
(訳者注:昨日メキシコ大統領はワシントン訪問をキャンセルした。)
その結果、アメリカは非常に有利な立場で再交渉のテーブルに座ることになる。選挙期間中、トランプがNAFTAからの撤退に乗り気であることを表明し続けたことにより、NAFTAの再交渉は、トランプが可能な限りの最高の条件を勝ち取ろうとしている、本気度が両国に伝わっているからだ。
 
 たとえ今、アジア諸国間におけるアメリカへの信頼度をトランプが著しく弱め、アジアにおいて中国を、対抗する国がない一大経済大国へと変貌させる道筋をつけてしまうという、これまた重大な不安は別問題として、トランプはアメリカ経済にとってはるかに重要なTPPへもNAFTAと同じようなアプローチをすべきだった。
彼のTPPから即時撤退する、という決断は我々を不安に落とし入れ、驚くべき彼の先見性の無さを白日のもとに示してくれた。
 
 大勢のアメリカ選挙民を魅了した、トランプの大きなセールス・ポイントは、「彼が備えているはずだった」偉大なる交渉人としての優れた能力だった。仕事始めの日に、意外にも彼はトレード・マークともいうべき、ビジネス上の「交渉」について、何も分かっていないことを世界に示したのである。(終わり)

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                 ミンクの似合う美女
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写真:(www.pinterest.com)
美女と連れ立った男性がビバリーヒルズ・ロデオ通りにある、セレブ御用達の毛皮店に入って来ると、
「レディーにこの店の最高級のミンクを見せてあげてくれたまえ」と注文した。
 
店のオーナーは一礼して店の奥へ向かうと、床にとどくほどのロングサイズの豪華なミンクのコートを手にして現れた。
 
女性がミンクを試着すると、誂えたかのようにピッタリとサイズが合った。
「とても良くお似合いですよ」と店のオーナーに言われて、彼女は満足そうに微笑んだ。
 
すると男性は気取って、「これは君のものだよ」と女性にささやいた。
 
毛皮屋はおもむろに男性に近づくと、「サー、65,000ドルになります」と小声で告げた。
男性は、「よろしい、小切手を置いていきます」と言った。
 
「結構です。今日は土曜日ですから、月曜日にミンクを取にいらしてください。私は小切手を換金しておきますから」と店のオーナーは答えた。
男性は小切手を書き、二人は機嫌よく立ち去って行った。
 
月曜日の朝、かんかんに怒った、毛皮店のオーナーは男性に電話を入れた。
「インチキ野郎!小切手は不渡りだったぞ。人をこけにしやがって…」とどなった。
 
「悪かったな。でもね、ミンクのお蔭で彼女は夢心地。我々二人の週末がどんなにロマンチックで素晴らしかったか、あなたにも想像できるでしょう。ありがとう!」
と男性は答えたのだった。
お後がよろしいようで……

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         トランプ次期大統領の国境の壁
 
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写真:(www.centrotampa.com)
 ドナルド・トランプ次期米国大統領は111日、NYのトランプ・タワーで大統領選後初めての記者会見を行った。会見で同氏は海外に生産拠点を移す企業に高額の税金をかけ、中国、メキシコ、日本を名指しして、貿易の不均衡是正をただす、と強調した。そして、選挙戦で力説してきた、メキシコ国境の壁建設の早期着工についても触れ、「建設費をメキシコに払わせる」とダメ押しをした。
 壁問題に関して、かねてから新任のメキシコ外務大臣・ルイス・ヴィデガライは、「メキシコが壁建設費を払うことはあり得ない。これは金銭問題ではなく、国の尊厳と主権の問題である」と大反発していた。因みに同氏は大統領上級顧問に任命された、トランプ氏の娘婿・ジャレッド・クッシュナーの友人であるとの理由から、外務大臣に任命された。
 そこで今回はトランプ次期大統領の公約中、最大の論争を巻き起こした、メキシコ国境の壁建設についてレポートしたい。
 
メキシコ国境線は3200
 
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写真:(www.citiesof.com
 先ず、米国側によると3201㌔、メキシコ側によると3185㌔の両国国境の現状を整理してみたい。米墨国境の米国側には、太平洋岸からカリフォルニア、アリゾナ、ニューメキシコとテキサスの4州が並んでいる。4州はいずれも19世紀まではメキシコ領だった地域である。そして、最も長い国境線を持つテキサス州とメキシコは、リオ・グランデ川が国境線になっている。有名なウエット・バック(濡れた背中)とはこの川を泳いで渡るので背中が濡れていることがその由来である。
 そして、国境の南のメキシコ側にはバハ・カリフォルニア州、ソノラ、チワワ州等6州が米国と国境を接している。テキサス州以外の国境地帯は両側とも砂漠または半砂漠地帯であるが、
カリフォルニア州とメキシコ国境地帯の砂漠は金色に輝き実に美しい眺めである。
両国間は陸路車、徒歩で入出国できる「国境検問所」が42か所存在し、そのうち26か所がテキサス州にある。これらの検問所を通過する米国人は年間2000万人、メキシコ人は1400万人にも上る。米国からメキシコに入国する場合は、旅券、ビザの検査もなく、フリーパスだが、メキシコから米国への入国は旅券とビザが必要であり税関もある。
 
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写真:米国国土安全保障省(DHS)による 
では何故トランプは米墨国境の壁建設に意欲を示すのか?それは検問所を通らずに、国境の南からの徒歩又は泳いでの不法入国者が後を絶たないからだ。
米国国土安全保障省(DHS)税関・国境警備局(CBP)のデータによると、我々が問題にしている、米国南西部地域に於ける「国境パトロール隊」による不法入国者逮捕数 は、2013414,397, 2014479,371名、2015331,333名である。
南西部地域とは、メキシコと国境を接する、カリフォルニアからテキサスまでの4州であり、逮捕者の半数近くは、テキサス州の最東部のブラウンズビル市近郊で逮捕されている。なお、この地域は90㌔にわたって鉄製の柵が設置されているにも係らず、逮捕者と同数の人数が「無事に越境して」米国に入国した、と推定される。
 
不法入国者の大部分はメキシコ人
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写真:(www.sandiegonews.com
さて、これ等南西部地域の逮捕者の国籍別統計はないが、全米の不法入国者逮捕数の統計はある。これによると、2015年の総逮捕者は462,388人であるから、南西部地域の逮捕者の合計331,333人は72%を占める。従ってメキシコ方面からの不法入国者が圧倒的に多いことが分かる。
10年前までは年間100万人を超えた、メキシコからの密入国者は、メキシコの経済状態が改善したこと、不法越境が危険かつ見張りが厳重になったこともあって、年々減少していることは統計に表れている。だがこれは入国方法が変わったためで、実際には減少していない、と見る向きもある。この件は後段で触れたい。
 
 トランプ氏はメキシコ国境に壁を作ると、あたかも彼が初めて壁を築くかのように宣伝しているが、米墨国境3,201㌔の内、1/31078㌔にはすでに「柵」が設置されている。しかも、国境の柵建設はジョージ・W・ブッシュ大統領時代の2006年に発効した「安全柵法・Secure Fence Act」に準拠して建設されてきたのである。現在柵があるのは、太平洋岸からテキサス州境までで、リオ・グランデ川という自然の障害がある、テキサス国境の大部分には柵はない。従ってトランプ氏の公約は柵ではなく、壁であることと、メキシコに建設費を払わせる点が新しいだけである。
 
                           壁建設費:2兆円
 さて、問題は壁建設費用である。CNBCTVKate Drewが去年試算したところ、1マイル(1.069㌔)につき1600万ドルかかると言う。すると残る2123㌔の壁建設費は$1525Billion15千億~25千億円)という巨額になる。彼女はこれを算出するのに、ベルリンの壁建設費用を参考にしている。
因みに2兆円と言えば、比較するのも可笑しいが、金沢新幹線の長野‐金沢間228㌔の総工費とどっこいどっこいである。
 
さて、壁を建設した後、そのメンテナンスに年間75千万ドル(750億円)掛かる。その他、国境パトロール隊21,000名の費用が年間$1.4Billion1400億円)計上されている。彼らが使うヘリコプター、ジープ、高速ボート、馬、銃器類の費用も馬鹿にならない。
 
議会の壁建設戦略
  次に議会は壁問題にどう対処しているか、見てみよう。共和党上下院議員たちはトランプの政権移行チームと共同でメキシコ国境の壁建設に関する戦略を練っている。
 与党議員と大統領補佐官たちは、早急に建設資金問題を片付けて、120日に始動するトランプ政権の早い時期に工事を始めたい、意向である。しかし、トランプ次期大統領はメキシコに払わせると言うが、メキシコ政府が米国財務省に同氏が推定している812Billionドル(8000億~1.2 兆円)の巨額小切手を送ってくるはずがないのだから、取り敢えず国内で調達する必要がある。
 ところで、民主党議員はもとより、共和党議員にも高価な壁は必要ない、との意見はあるが、これは大統領選の目玉的公約である以上、実行せざるを得ないと言う立場に追い込まれている。
そこで、トランプ氏と共和党議員たちは、壁建設費用を国内に100万人以上いると言われる、メキシコ人等の不法滞在者から徴収しよう、としている。一つは彼らが故郷の家族に送る「ドル送金」を没収しよう、と言う乱暴な案であり、もう一つはビザ、国境通行パスの手数料の値上げである。
これだけでは足りないので、今月早々、共和党のルーク・メッサー議員は下院に不法滞在者に対する、「扶養児童控除・Child tax credits」を撤廃する法案を提出した。国税庁によると、不法滞在者が受ける恩恵は年間4.2Billionドル(4200億円)に上る、というから大きい。
オーバー・ステイの不法滞在者が税金を払っているとは知らなかったが、彼らは申請すると、ITIN(納税者番号)を持てる。ということは、不法滞在者には二種類ある、ことが分かる。
  1. ビザはもちろん旅券も持たずに不法入国した外国人。
  2. 旅券とビザを持って正式に入国したが、ビザが切れた後も米国に滞在し続ける外国人。これに該当する者は納税者番号を申請でき、この番号があると、銀行口座が開設出来、クレジットも得られる。但し運転免許証は取れない。
 
不法移民の40%は合法的に入国
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写真:(www.huffingtonpost.com
従って、問題があるのは、旅券、ビザ無しで不法入国してくる【1】の外国人である。危険を冒して砂漠を歩き、川を泳いで渡らざるを得ないのは、ビザが得られない訳があると言える。リオ・グランデ川中流のラレード市付近では昨年、幅180米の川を横断中6名が溺死している。この地点で靴を脱いだだけで自ら川を泳いで渡った様子を実況放送した、合衆国最大のスペイン語TV局ウニヴィシオンのニュース・キャスターである、ホルヘ・ラモスによると、合衆国の不法滞在者の40%は、旅券と入国ビザを持って米国の空港、陸路の検問所を経て合法的に入国し、そのままビザの在留期限を越えて不法に滞在、居座ってしまっている人たちだと言う。従って、ビザ無し不法入国者は減少しているが、不法滞在者の絶対数は減らないのである。
従って国境に壁を作っても、不法移民は減らない、のである。昨年の共和党予備選の際、ジェフ・ブッシュとマルコ・ルビオは、この「事実」を取り上げて、トランプの壁建設は税金の無駄遣いだと批判していた。これを受けて、トランプ次期大統領は、「壁建設費をメキシコに払わせよう」という名案?を思いついたのだろう。とにかくこの最大のポピュリズム的公約によって、彼の支持基盤である、白人労働者階級に「メキシコからの不法移民が彼らの職を奪っている」と言う不満を植え付けたのである。そしてこれが大受けしたため、トランプ政権は今その後始末に苦労している。
 
                            「柵ではなく策で解決せよ」
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                                              写真:(www.theMMOB.com)
最後になぜ危険を冒してでも、米国に越境して来るのか、を見てみたい。ずばり言うと、アメリカの景気が良くなり、失業率が下がっているため、3K仕事を行う労働者の需要が高まっているからだ。 「5人に一人はアメリカに親類がいる」といわれるメキシコ社会には、仕事のない若い男女が、アメリカの親類に呼び寄せられて渡米する慣行がある。しかし、30才以下の若者は何度ビザを申請しても、「就労目的」とみなされて観光ビザさえ発給されないため、やむを得ず砂漠を歩き、柵をよじ登り、川を泳ぐのである。また、それを手引きする、地下組織すら存在し、ビジネスとして成立している現実もある。
 
 前述のホルヘ・ラモスによると、米国政府は毎年30万の中国及びインド人移民を受け入れている。ラモスは彼らに代わってメキシコ人移民を「厳選して入国」させれば、2兆円の壁建設費と高額な国境警備費が削減できる、と説く。フランシスコ・ローマ教皇がトランプの壁を批判して「国境には壁ではなく、橋を懸けよ」と喝破された説教が思い出される。文字通り不法入国は「柵ではなく策で解決せよ」との教えである。
 メキシコのビデガライ外務大臣がこの案を、親友である米大統領上級顧問のクシュナーに売り込めば、「経費削減を唱える」舅の大統領が喜ぶこと請け合いである。
 トランプ次期大統領の国境の壁問題を切っ掛けとして、国境の両側の政府による、総括的な米墨国境問題の解決が望まれる。(終わり)

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トランプ氏、メキシコ男と美女…
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写真:(www.imagen.com.mx
汽車の4人掛けの席の一方に若い美女と老女が座り、二人の真向かいに、ドナルド・トランプ氏とメキシコ男が席をしめていた。
やがて列車が長いトンネルに入ると、電灯がない客車内は真っ暗になった。
 
すると突然、「ピシャ」という凄い平手打ちの音が響き渡った。
 
列車がトンネルを抜けると、トランプ氏のほほが赤く腫れあがっていた。
 
若い美女は「図々しいトランプが私の胸を触ろうとして、誤って老女の胸を触ったので、彼女から平手打ちを食った」。と考えた。
 
老女は「スケベなトランプが若い女の胸を触ったので、彼女に平手打ちを食った」。と考えた。
 
トランプ氏は「メキシコ男が若い女の胸を触ったところ、彼女は私を犯人と勘違いして、私に平手打ちを食らわせた」。と考えた。
 
メキシコ男は次のトンネルに入ったら、「もう一芝居打ってトランプの野郎に平手打ちを食らわせてやろう」。と考えていた。
 
お後がよろしいようで……。

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           サン・アントニオの心からの友人
                白根直子氏の銅像除幕式
 
 
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サン・アントニオ市(テキサス州)の市立植物園に同市の姉妹都市である、熊本市が造園して寄贈した立派な日本庭園・熊本園がある。昨秋1128日、その入り口に立つ、白根直子氏の等身大ブロンズ像の除幕式が行われた。
 セレモニーは銅像建設委員会会長のヘンリー・シスネーロス博士の司会によって始まった。式の参列者はアイビー・テイラー・サン・アントニオ市長、テキサス州代表、ベス・コステロ・白根直子財団会長等のテキサス側要人と、この除幕式のためにトヨタ自動車の豊田章一郎名誉会長(91才)が夫人とともに駆けつけたことに日米両国民たちは驚きを隠さなかった。
 
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写真:(SanAntonio Express News
豊田章一郎夫人の従姉に当たる、白根夫人は黒子に徹してはいたが、局面を左右する、重要なプレイヤーとしてトヨタ・サン・アントニオ工場誘致に貢献したことは、周知の事実である。その他、天野・ヒューストン日本総領事と姉妹都市熊本の澤田市議会議長も参列した。
 
銅像横の案内板には、銅像の主である白根直子氏(19262013)を追悼して、日英両語で次のように記されている。
「彼女はサン・アントニオと日本の架け橋となってくれた心からの友人でした。
私たちの生活を教育や商業、文化を通してとても豊かにしてくれました。
そして特にこの熊本園という贈り物を通して」
 
白根夫人像はアメリカの地にアメリカ人の発案と浄財によって、アメリカ人によって建立されたことに意義がある。外国の人々によって建てられた日本人の銅像は、台湾のウサントウ・ダムに立つ、八田與市技師の銅像が良く知られているが、この種の銅像建立は非常に珍しいのである。
白根夫妻とテキサスとの出会い
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さて、筆者は白根夫人の没後、前サン・アントニオ市・国際部長のコステロ夫人や日米協会の数人の関係者から、「白根夫人の銅像を建てる計画が進んでいる」と聞かされていたが、正直半信半疑だった。そして彼らは「白根夫人の友人だったことを誇りに思う」と、異句同音に語っていたことが思い出される。文字通り、白根さんは「サン・アントニオとテキサスの真の友人」だった、と言える。
 
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白根精一、直子夫妻とサン・アントニオ市との出会いは、1983年にさかのぼる。この年、当時サン・アントニオ市長だった、ヘンリー・シスネーロスはアップ・ウイズ・ピープル運動を支援する友人から、訪米中の白根夫妻を紹介された。シスネーロスは、1981から8年間サン・アントニオ市長を務め、アメリカ全土で最も有能、かつ最も若い市長として教科書に載ったような人物で、ハーバート大を卒業後、ジョージ・ワシントン大学院で行政学博士号を得た後、ホワイトハウスのフェローとして勤務した経験を持っている。その後第一次クリントン政権の連邦住宅・都市開発省大臣を勤めた。
 一方、白根精一は山口県の男爵家に生まれ、父は貴族院議員だった。妻の直子は三井総領家(北家)の三男高維の次女として生まれ、母親の英子は住友家の出身だった。当時二人は、日本アップ・ウイズ・ピープル運動の理事を勤めるかたわら、直子は父高維が設立した、啓明学園(拝島市)にも関与していた。なお、両氏はともに幼少期を英国で過ごしたが、直子の父親はオックスフォード大学に妻と子供を連れて留学していた。
 
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写真:(SanAntonio Express News
この初会合で白根夫人は「日米間の文化、経済交流を盛んにしたい」という希望を述べた、とシスネーロスは白根像の除幕式で回想していた。そして白根夫妻は19851月、大サン・アントニオ‐オースティン回廊地帯評議会の会員になったことで、テキサスとの縁が始まった。その後、両氏はサン・アントニオ市国際部、経済開発部から日本に関する助言を求められるようになると、白根夫妻の「不可能なことを成し遂げる、外交手腕と知名度」にほれ込んだ、市長からテキサス州とサン・アントニオ市の東京事務所への協力を要請され、同年、両氏は正式に「サン・アントニオ市貿易・外国投資東京事務所上級代表」、及び「テキサス州顧問」に就任して東京に常駐したが、年間3ヶ月はサン・アントニオ市役所に出勤した。
 
熊本市と姉妹都市に
 
 
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 彼女の大きな初仕事は、198712月に調印された、サン・アントニオ市と熊本市の姉妹都市提携だった。これは「地下水の豊富なこと、緑が多いこと」が両市の共通点であるとして、白根夫人が熊本市を相手先として推薦したのである。ところで面白いエピソードがある。
同年、熊本市を訪れた、シスネーロス市長への返礼として、サン・アントニオ市を訪れた、田尻熊本市長は、同市の日本庭園に案内された際、「これはテキサス庭園かメキシコ庭園で、日本庭園ではないですよ」と正直すぎる感想を述べた。すると、すかさず白根夫人が「市長さん、姉妹都市提携記念に熊本市が本格的庭園を造ってあげたらどうでしょう」と提案したところ、田尻市長も乗り気になり、熊本の造園家が日本の庭園材料を使って造園、二年後に開園する運びとなり、熊本園と命名された。
なお1990年、夫の白根精一氏が70才で死去した後も同夫人は東京事務所での執務を続けた。
 
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写真:(www.equipmntworld.com
 白根夫人は在任中、サン・アントニオのトヨタ工場及び20数社の同工場協力会社の誘致以外にもSONY,マイコム、コリン医療機器等の同市への誘致実現にも関与した。トヨタは90年代末から米国におけるピックアップ・トラックの生産拠点を探していた。北米トヨタの製造部門は、同社の協力会社が多い、アラバマ、テネシー、ミシシッピ州を希望していた。一方、販売部門は米国の国民車といわれる、ピックアップ・トラックの売り上げ20%を占める、テキサスへの進出を希望していた。ところがトヨタ側はテキサスはトヨタ誘致に乗り気ではないとみて、候補地からはずそうとしていた。そんなときトヨタ上層部に、「それは誤解だ」との説明を行い、同時にテキサス側に「日本企業との付き合い方」をコーチしたのが白根夫人だった。
 
                    白根直子財団の設立
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さて、銅像除幕式前に、日米両国間の若者たちの教育、文化交流を目指す、「Naoko Mitsui Shirane 財団(シスネーロ総裁、コステロ会長)」設立の報告が行われた。また、 サン・アントニオ市の姉妹都市・熊本市への「熊本地震被災者への義援金伝達式」も執り行われた。日本レストラン・チェインのSushi Zushi, TOYOTAを初めとする26社、団体からの義援金155,000ドルの小切手がテイラー・サン・アントニオ市長とアルビン・ワラス・サン・アントニオ日米協会会長から、熊本市議会澤田議長へ手渡された。
銅像の除幕式はテイラー・市長と白根夫人の親族を代表して豊田章一郎トヨタ自動車名誉会長夫妻の三人によって執り行われた。
 
最後にこの式典に参集した、数百人の日米両国民を前に、名演説家のシスネーロ博士を初めとする、諸氏の祝辞から伝わってくる、白根夫人の人となりをご紹介したい。
 
 
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ヘンリー・シスネーロス:サン・アントニオへの白根夫人のご指導と変わらぬご支援なしにトヨタ工場のサン・アントニオ誘致はあり得なかった、と私は断言できます。
            トヨタ・サン・アントニオ工場と協力会社は17,411の雇用を創出し、年間30万台のピックアップ・トラック、タンドラとタコマを生産しています。
豊田章一郎:我々の親族である白根直子は、サン・アントニオの皆さんのご親切と暖かい友情に感謝していることでしょう。皆さんは白根の真の家族でした。
ジュ―ン・メイコン:白根夫人は交渉相手に「Noと言わせない」力を持っていました。そして、彼女は「鉄の拳」に柔らかいビロードの手袋をはめる聡明さを合わせ持った女性であり、男性中心の日本で男性に伍して活躍した、見事な実例でもありました。(元サン・アントニオ市顧問弁護士)
 
サン・アントニオと日本の架け橋だった、心からの友人・白根直子(1926~2013)の功績を讃えてサン・アントニオ市は2010年、彼女の誕生日である1114日を「Naoko MitsuiShirane の日」に制定した。三井総領家のお嬢様として生を受けたNaokoは、ノーブレス・オブリージュ精神を身をもって実践して、彼女を慕うテキサス人に惜しまれつつ3年前87才でその生涯を閉じた。
(終わり)
 (注)この稿を書くにあたり、San Antonio Express News紙とja.wikipedia.org/を参考にしました。

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