アメリカ便り

アメリカ便り Letters from the Americas 様々なアメリカ&メキシコ事情と両国の小話

2017年09月

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               「私は誰でしょう?」
 
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                                    写真:(www.adobestock.com)

ジョンが帰宅すると、妻のケイティは夫の背後から両手で彼の目を覆って、「私は誰でしょう?」といたずらっぽく訊いた。

 
 ジョンは「分かり切っているじゃないか。ケイティだよ。どうしていつもこんな馬鹿馬鹿しい遊びで俺を迎えるんだね?」と言った。
 
 夫が文句を言っている間に、妻の今日のお相手は、衣類を両手に抱えて、ベッドルームから玄関へ忍び足で去って行った。
 
お後がよろしいようで……。

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                被災地に響く歌声 
 メキシコ地震犠牲者286
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                                                   写真:(www.televisa.com
天災には悲喜こもごものドラマが付き物である。メキシコでもドラマが起こっていた。そのうち二つを取り上げたい。
今月19日のメキシコ地震発生から3日目の今朝(日本時間)、メキシコ市南部のコアパ(Coapa)地区で倒壊した私立学校エンリケ・レブサメンの救出現場で、捜索、救助活動に従事していた、海軍陸戦隊を指揮した、アンヘル・サラミエント海軍次官が記者会見を開いた。
次官によると、これまで生徒11名を救出し、生徒19名と成人6名の死亡が確認された。高性能の電子機器による捜索によって確認できた、瓦礫下の生存者は成人1名で生徒の生存者はいない。なお、この外に、すでに救出されて病院に収容された生徒と自力で自宅に帰宅した生徒がいる模様だが、本人、家族と連絡が取れていない、と発表した。
 
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写真:(www.reforma.com
 これを聞いて、収まらないのは、現場からTV,インターネットで瓦礫の下には30人以上の生存者がいる、と言う海軍から得た情報に基づいて実況放送していたTELEVISA(メキシコ最大のTV局)及び国内外のマスコミだった。子供たち救出中のニュースは日本のTV,新聞も大きく報道したので、日本の方もご存じだった、と思う。
 
アナウンサーは生徒たちの名前まで特定して、救助隊員は水分をホースで子供に供給している、「がんばれ!」と言って報道していたのだから大誤報ではあるが、情報源は海軍だった。
マスコミは海軍省に「生存者情報の変更」の経緯を説明するよう求めている。
 こうして、メキシコ国民を感動させた救出劇は終わった、と思われたが、
22日午前1時、海軍次官が次のような声明を発表した。
 
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               写真:(www.televisa.com)
「昨日の午後、海軍が発表した、『少女は生存していない』との情報は正確ではないことをお知らせして国民の皆様にお許しを請いたい。現段階では、生存者が成人であるか少女であるかは確認出来ていません。
これら生存者情報は、民間人と海軍双方の救助隊員たちからもたらされたものでした。我々海軍は生存者が存在する限り、我々は全力を尽くして救出する覚悟であります」。
誤った情報は、「幼い子供たちの生存を願う善意から生まれた」とも解釈できるが、ご家族をはじめ多くの人々を欺いた罪は大きい,と言わざるを得ない。
 
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                写真:(www.acn.com
 一昨日、ニューヨークの国連本部に於いて、メキシコのビデガライ外務大臣は、日本、米国、イスラエル、チリ―の政府関係者に、メキシコ地震への救援隊派遣を要請した、と新聞が報じていた。もう日本の救援隊も現地に到着したころだろう。一番乗りは隣国の米国だが、二番目はイスラエル隊だった。
 
 日本時間の今日午後の政府発表によると、地震の犠牲者は286名になった。内訳はメキシコ市148、モレロス州(震源地)73、プエブラ州45、メキシコ州13、ゲレーロ州6、オアハカ州1、計286名である。
 
 なお、19日から停電していた被災地域の92%への電力供給は回復した。電話は問題なく、我々も現地の親類と話すことが出来た。問題はメキシコ市の公立校の被害で2,200学校が何らかの被害を受け、現在市内の学校はすべて休校している。ただし、メキシコ国立大学は今日、クラスを再開した。
 
                   もう一つのドラマ
 
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写真:(www.excelsior.com)
メキシコからの報道によると、ある巨大集合アパート倒壊現場で、隣人たちは瓦礫の中から生存者を捜索する、救助隊員に向かって、Cielito Lindo (シエリト・リンド 青い空、恋人の意味もある)を合唱して励ましと感謝の意を表した、と言う。
メキシコの第二国歌と呼ばれる、キリーノ・メンドーサ作曲のこの歌は、マリアッチ楽団の伴奏で歌われる、世界的ヒット曲である。
以下にその歌詞のさわりを記しておこう。
 
「さあ、さあ、さあ、 歌おうよ 泣かないで
歌えば 心が晴れるから」。
 
 こんな悲劇のさなかでは、Cielito Lindoが彼らにとって最上の応援歌なのである。いかにもメキシコ的な「ちょっといい話」とは思いませんか?
(終わり)
 

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   メキシコ地震、今度はシティ近辺
 
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  写真はReforma紙、El Economist, CNN, El Nuevo diaによる。撮影場所はメキシコ市

919日は10,000人の犠牲者を出した、メキシコ・シティー大地震の32回目の記念日だった。その当日、再びマグニチュード7.1の地震がシティーとモレロス、プエブラ、メキシコの三州を襲った。震源地はメキシコ・シティーの隣のモレロス州のAxochiapan(アソチアパン)だったと地震測候所が発表した。
 
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現地時間の19日の131420-314日本時間)に発生した地震により、日本時間の20日午後現在、224名の犠牲者が出た、とシティーと3州の政府筋が発表した。内訳は、モレロス州が55名、メキシコ・シティが117名、プエブラが39名、メキシコ州が12名、計224名である。
 
 
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 メキシコ・シティは市南部の被害が大きく、居住者の多い高層アパートを含む29のビルが倒壊した。目下、軍、警察、消防署による救援隊が、生存者の救出に当たっている。また、大学生を中心とする、ボランティアたちの救援隊が、
メキシコ国立大のキャンパスで結成され、市内各地に派遣された、とも報じられていた。
 
 
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 19日は32年前のメキシコ地震の記念日だったため、メキシコ全土で大規模な避難訓練を行っていた。ネットの情報によると、朝の訓練が実際の地震で役にたった、とコメントしていた。
 
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地震によってメキシコ市は全市で停電となり、電話も固定、携帯共に不通になったが、緊急用の警察電話等とSNSは使用できた。テキサスにいる私の息子はメキシコの親類とSNSで通信が出来、全員無事だった、と東京まで知らせてくれた。以上は日本時間の今朝の情報だが、今は電気もつき、電話も通じるようになっている。
なお、メキシコ・シティ空港は現在まだ閉鎖されているが、到着便は60㌔離れた、トルカ空港に着陸しているので混乱はないが、出発便はすべてキャンセルされている。
 
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メキシコ空港の再開は安全点検を経て、行われる運びになっている。
メキシコ・シティのメトロは現在通常運行にもどり、無料サービスをしている、とSNSは報じていた。先ずは、地震発生の第一報である。(終わり)

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                         長電話
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   写真:(www.depositphotos.com)
妻は30分の長話を終えて、電話を切った。
 
夫は驚いて「いや~えらく早かったなぁ、いつもあんたたちは最低2時間はしゃべるのに」と言った。
 
妻は「友達とはね。今のは間違い電話だったのよ」
と答えた。
 
お後がよろしいようで……。

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            メキシコ地震死者96人に
 
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                               写真:(www.animalpolitico.com)
 
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写真:(www.ejeespanol.com
97234918秒(メキシコ時間)、メキシコ最南端、グアテマラ国に隣接するチャパス州でメキシコ史上最大級の「チャパス地震」が発生した。
震源地は同州のピヒヒアパン市南西海上137㌔、深度69.7㌔地点だった。
メキシコはニュージーランドから始まり、日本を経てベーリング海峡、カナダ、米国の太平洋岸からチリ―に至る、馬蹄形の環太平洋火山帯がメキシコ太平洋岸を通っているため、地震多発地帯なのである。
 
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                                写真:Picture-AllianceAP
メキシコ気象庁及び米国USGS(米国地質調査所)は、今回の地震のマグニチュードは8.2と発表した。これは1985年のメキシコ・シティ地震の8.0の記録を更新しただけではなく、ここ100年間の新記録でもある。そして、地震の影響は中米のグアテマラ、エル・サルバドール、ホンデューラスにも及んだ。
 
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                              写真:(www.cnnespanol.com)
10日現在、16のマグニチュード6以上の余震も含めて、770の余震が観測されている。TSUNAMI警報も発信されたが、幸いにも3時間後に3メーターのTSUNAMIがチャパスとオアハカ州海岸で観測されたのみで被害はなかった。
地震による犠牲者は10日現在、チャパスの北に位置するオアハカ州が76名、チャパスは15名、タバスコ州が4名で計96名に達した。
 
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                            写真:(www.telemundo.mx.com
オアハカは324の学校が被害に遭い、うち42校は全壊、同州のすべての学校は休校している。なお、850㌔離れたメキシコ・シティーの学校にも被害が及び休校している学校があるが、全国で1,145校が被害を被った。
メキシコの新聞(電子版)によると、首都メキシコ・シティーからの軍隊を中心とした、救援隊は10日、現地に到着して捜索、救助、救援活動を開始した。
 
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写真:(www.tacuarembo.net
 筆者は今回の地震の被害地である、オアハカ、チャパス両州は過疎地だと、思っていたが、それは大間違いで、チャパス州の人口は520万、オアハカ州は400万であり、全メキシコ31州と1連邦区(メキシコ・シティー)中、夫々7位、10位を占めている。ということは、今後犠牲者の数は増える可能性がある、と言える。1985年のメキシコ・シティー地震の犠牲者は9000人にも達したのであるから、耐震性のないブロック、日干しレンガの家屋が多い農村地帯の被害は想像しただけでも恐ろしい。
 
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                                          写真:(www.televisa.com
 
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                                          写真:(www.publimedio.com
 チャパス州は120年前の明治30年、榎本武揚外務大臣がラテンアメリカ最初の榎本植民地を同州のアカコヤグアに建設、35名の日本青年を送り出したことで知られている。現在彼らの子孫の多くはアカコヤグアを出て、州外に移住したが、グアテマラとの国境近くにある、タパチューラ市に数家族が住んでいると聞いている。無事を祈るのみである。(終わり)

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