アメリカ便り

アメリカ便り Letters from the Americas 様々なアメリカ&メキシコ事情と両国の小話

2017年10月

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               現金引出し200ドル
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  写真:(www.bailes_worldpress.com)
 アラブ系メキシコ人のムスタファとアブーはパリのナイトクラブでショーを楽しんでいた。少し離れたテーブルにはユダヤ系メキシコ人のアイザックがいた。
 
 そこへひも式水着の踊り子が腰をくねらして踊りながら、世界各国からの観光客の間を通り過ぎようとしていた。
 
ムスタファは踊り子の水着のひもをつまんで素早くお尻の左ほっぺに100ドル紙幣を挟み込んだ。
するとアブーも同じように100ドル紙幣をお尻の右ほっぺに挟み込んだ。
共にそれ相応の見返りを期待して……。
 
 
 やがて踊り子がアイザックのテーブルに近づくと、ユダヤ人はデビット・カードを踊り子のお尻の割れ目にスライドさせた。
 
そして「現金引出し200ドル」と言って、200ドルを頂戴したのだった【注】
 
 お後がよろしいようで……。
 
【注】欧米のデビットカードの機能の一つに、この小話のようにデビットカードを使って加盟店のPOSレジスターから預金(現金)を引き出すことが出来る、サービスがあります。日本は未だ検討中で導入には至っていません。

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     ブラジルを理解するために
  連載エッセイ13
     ロータリークラブで学んだこと
 
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写真:(www.ctstate.comptroller.com)
 執筆者:桜井悌司(日本ブラジル中央協会常務理事)
  まえがき】ロータリークラブと言えばメキシコ時代、ロータリークラブのガバナーだった、二世の友人ホルヘ・関口君から熱心に入会を勧められたことを思い出した。だが、仕事に感けて加入には至らなかった。
この項を読んで、ロータリークラブの目的は「奉仕」と「友情」を通じて、普段の付合いでは知りえない人々との交流を目指すことである、と改めて教えられた。これが日本の海外駐在員諸氏にとって、任地における人脈を広げることに繋がるのだと、桜井教授は説く。
 任地が34年で変わった駐在員時代の桜井氏が、ロータリークラブを通じて易々と任地の人々と交際出来たことは稀有な例だと、ほとほと感心する。教授はチリ駐在の際、「月に12回チリ人と食事をしようと決意し」それを実行したというが、これは「言うは易く行うは難しい」ことである。
この他桜井教授はロータリークラブで学んだことを4例あげて紹介して下さる。そして教授は「人生論」にまで論を進めるのだが、これは将にラテン系民族が理想とする人生論になっている。「長生きする」秘訣も学べるのでご味読下されば幸いである。(富田記)
 
ロータリークラブはアメリカで発足し、全世界規模で活動するクラブである。その目的は、創始者ポール・ハリスの考えに基づいており、「奉仕」と「友情」である。筆者は、2008年3月まで41年の長きにわたり、日本貿易振興機構(ジェトロ)で、貿易振興や投資促進等の活動を通じて、日本と世界との経済関係の緊密化を図るという仕事に従事してきた。その目的を達成するためには、何と言っても、駐在国の人々とのコミュニケーションを深め、人脈を形成する必要があった。第2回目の駐在地のチリ(1985年~89年)では、駐在員1人の小事務所であったため、すべて自分で何事も決定できる立場にあった。そこで月に12回チリ人と食事をしようと決定した。何とかノルマを達成するために毎週定期的に食事ができるうまいメカニズムはないかと考えていたところ、たまたま前任者がロータリークラブに入会していたので、私も入会することにした。私が入会したのはサンテイアゴ・セントロのクラブで会員数300名を越える大クラブであった。会員には、後に大統領になる人物や誰もが知っているテレビのキャスター、弁護士、医者、多国籍企業の代表、外国大使・参事官等々多彩な顔ぶれであった。毎年1回は、大統領も出席した。毎週1回の昼食会のおかげで食事回数が増え、チリ駐在の4年半は、見事12回の食事ノルマは達成でき、多くの友人をつくることができた。
第3回目の駐在地は、イタリアのミラノ(1996年~1999年)であった。コレステロールの関係もこれあり、さすがに食事のノルマは課さなかったが、ミラノでもロータリークラブに加入した。このクラブもミラノ最大で、300人以上の会員数を抱えていた。サンテイアゴのロータリークラブと比較すると、さすが世界のファッションの中心地であるだけにやや敷居が高い感じであったが、ここでも有力企業、銀行や有力ビジネスマン、弁護士等々が名を連ねていた。入会時にはカリプロ銀行会長のベルトラミ氏にパドリーノ(後見人)になってもらった。
 
 
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第4回目の駐在地は、ブラジルのサンパウロ(2003年~2006年)であった。過去2回、ロータリークラブの会員であったので、サンパウロでも入会することにし、適当なクラブを探したところ、「パウリスタ通りクラブ」という会員数40名くらいの比較的小さなクラブが見つかった。日本のロータリークラブは入会金も会費も高く、なかなか入りにくいが、このクラブの場合、入会金なし、会費のみであった。その会費も毎週水曜日に行われる定例会の昼食代をやや上回る程度の金額であった。3つのクラブの中では最もざっくばらんですぐに友人にしてくれるという雰囲気であった。メンバーには、多国籍企業の役員、コンサルタント、弁護士等で定例会は常に和気藹々でエンジョイすることができた。会員の家庭に招待されることもあった。昨今、ブラジルからのニュースは、汚職、賄賂等ネガテイブなニュースが多いこともあり、ブラジル人に対してネガテイブなイメージを持ちがちであるが、このロータリークラブの会員は、地域社会の発展、教育、衛生等の問題について大きな関心を払っており、献身的に各種プログラムを実践していた。素晴らしい人格の持ち主が多く、会合に出席することが楽しみであった。私の持つブラジル人の持つ良いイメージを深化させてくれた。時折、リベルダージのロータリークラブにも出かけた。ここでは、会員がほとんど日系人であり、日本にいるような感じがした。
このようにしてスペイン・ラテン、イタリア・ラテン、ポルトガル・ラテンという3つのラテン圏のロータリークラブに延べ10年間在籍した。いずれのクラブでも日本人は私1人であったため、どこでも大切にしてもらった。ロータリークラブで学んだことは、多々あるがここでは4つのことにつき紹介する。
第1は、英語が相当通用したことである。私が現地語で説明にとまどっているとチリでは英語にしようか、イタリアとブラジルでは英語にしようかそれともスペイン語にしようかと助け船を出してくれた。彼ら会員は知的な人が多数を占めていたので、英語がもはや米国人や英国人が話す言葉というだけではなく、国際共通語として、またコンピュータの言葉として決定的である認識するに至ったのであろう。
第2は、食事を一緒するということがコミュニケーションを良くし、信頼関係を深める上で、最善の方法だということが確認できたことである。私は、短いインタビューや取材などはさほど難しくはないと考えている。なぜならこちらから一方的に質問すればいいからである。しかし、食事となれば、話は全く別で、2人であれば、半分、3人であれば3分の1は自分が話さなければならないことになる。まさに全人格、総合力の勝負となる。その意味で、今まで76カ国・地域を旅した経験、多くの国籍の人々と話した経験、常に好奇心を出して、何でも関心を持ったおかげで歴史、文学、芸術、音楽、映画、スポーツにもある程度通じるようにことになったこと等がすべて良い方に左右した。
第3は、楽しんで寄付集めをする方法を学んだことである。パーテイを開催し、ビンゴやオークションを行う。パーテイ代の一部は寄付に回すことができる。ビンゴやオークションの景品はすべて寄贈品のため経費ゼロ、参加者は喜んでゲームに参加し、お金を供出することを厭わない。そして多額のお金が集まる。まさにWIN-WINのファンド・レイジングである。第4は、友人を通じて、人生というものは楽しむためにあり、楽しみながら長生きするのが理想なのであるということを学ぶことができたことである。
企業の駐在員は、何故かロータリ―クラブやライオンズクラブやキワニスクラブ等に入会することに消極的である。しかし、人脈形成や駐在地の国民性の理解に役立つほか何よりも駐在生活が豊かになること請け合いである。
 
20163月上旬

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               美容整形 その前後
 
  
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                                     写真:(www.mirror.co.uk)
 心臓手術を受けて、病室でうとうとしていた中年女性の夢枕に神様が現れたた。
「私は死ぬでしょうか?」と彼女は神様に訊いた。
 
 神様は「大丈夫、お前はあと30年生きるよ」と保証した。
 
 あと30年生きると聞いた女性は、30年の人生を思いっきり楽しもうと決心した。
入院中に彼女は鼻の整形、眉毛の植毛、豊胸手術、脂肪吸出し手術、しわ取り手術を行った上、唇にコラーゲンを注入してもらった。
 
お蔭で、彼女は見違えるほど若返り、きれいになった!
 
退院の日、彼女は若やいだ美貌を見せびらかせて優雅に道路を横断した。
 
 すると、疾走してきた救急車にはねられて、即死してしまった。
 
 天国に着いた彼女は、神様の御前に出た。
「あなた様は30年生きると保障してくださったのに…」とぐちを言った。
 
  神様は、「確かにそう言ったよ」
 
「では、なぜ私は死んだのですか?」と彼女は抗議した。
 
神様は肩をすくめておっしゃった。「お前だと気がつかなかったんだよ」。
 
お後がよろしいようで……。

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           ブラジルを理解するために
  連載エッセイ12
 
サンパウロでサッカー見学の際に心得るべきこと
 
              執筆者:桜井悌司(日本ブラジル中央協会常務理事)

私が感心してシャッポを脱いだのは、教授はサッカー場に行くとき、常に短パンとTシャツで地下鉄に乗って行った、との部分だった。もちろん教授は「リスク管理」をしっかり行った上でのことだが、サンパウロと同様か、もっと悪いメキシコ・シティに住んでいた筆者は、こんな真似をしようとは、夢にも思わなかった。
 
教授はサンパウロで「郷に入っては郷に従え」を文字通り実行された訳だが、なかなか出来ることではない。
 では、下記の軽妙な語り口の「桜井式リスク管理論」をお楽しみください。
(富田記)

 

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                                          写真:(www.diarioregistrado.com)


 サンパウロに赴任した最初の日曜日に、一人で地下鉄に乗って、中心部のセー広場に出かけた。有名なセー大聖堂があるところで、地下鉄を降りた時点で、治安が悪そうという印象を受けた。ざっと見学した後、日本人街のあるリベルダ―ジ地区を歩いた。翌日、秘書のマリアさんに日曜日に中心部に出かけたことを話すと、「所長、危険なところに一人で出かけてはいけません」と強く警告された。彼女のアドバイスにほとんど従わず、あちこち出かけたが、幸いなことに一度も危ない目には会わなかった。もちろん、危険なところに行く
場合は、それなりに用心はしていた。
 
 
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 ブラジルというとサッカーが有名だが、2年5カ月の間に8回サッカーを見に行った。本当はもっと行きたかったが、ミラノのようにはいかなかった。日本やイタリアのように前売り券を売っているところが無いか見当たらず、当日スタジアムの売り場で並んで買わなければならなかったからである。最初は、友人の日本人とモルンビー・スタジアムにタクシーで出かけた。その後、子供たちと一緒にパカエンブ―・スタジアムに出かけた。一度、これまた一人でアパートから人気チームのコリンチャンスの試合を見にパカエンブ―・スタジアムに出かけた。アパートから地下鉄のパライソ駅まで歩き、そこから地下鉄クリニカ駅まで乗り、15分くらい歩くことになる。スタジアムでチケットを購入し、試合を見学した。終了後は、同様のルートで帰宅した。翌日、マリアさんに話すとまたまた叱られた。サンパウロでサッカーの試合を見に行くこと
は、危険が伴うとよく言われる。
 
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 何故かと問い合わせると、いろいろな意見が出されるが、多くの人が、①サッカーを見に行く往路・帰路でピストル強盗などに会う危険と②サッカーのフアンどうしの争いに巻き込まれる危険をごっちゃにしていることがわかった。この2つは、解決が十分に可能である。往路・帰路の危険は、襲われる可能性を想定して、行動すればいいのである。私は、サッカーに行く場合は、常に短パンとTシャツで出かけ、クレデイット・カードや大金は持参せず、小銭を数か所のポケットと靴下の中に入れていた。仮にポケットの小銭を盗まれた場合
でも、靴下の中に入れていた小銭でアパートまでタクシーで戻れる用意をしていた。
 
フアン間の争いも回避できる。フアン間の争いはどのような場合に起こるのかを考えればいいだけである。0対0、1対1、2対2等の引き分け試合は、お互いが健闘したことを双方が認識しているので、まず争い事は起こる可能性は低い。また2対1とか3対2などの接戦の際にも同様である。問題は、5対1とか4対1とか3対0とかの一方的な試合になった場合である。その場合は、勝ったチームのフアンが相手チームのフアンを挑発し、フアンどうしの争いが始まるのである。それを避けるには、試合の展開を判断し、険悪になりそうな展開になれば、試合終了の5~10分前くらいにスタジアムを出て、列をなして待っているタクシーに乗ってさっさと家に戻ればいいのである。
 
もう一つ留意すべき点は、コリンチャンスは白色、パルメイラスは緑色等チームのユニフォームの色が決まっていることである。特定のチームを応援する場合は、ファン心理としては、応援するチームのユニフォームやシャツを着て行くことになるが、ファン間の争いに巻き込まれたくない場合は、双方のチームのカラーと異なる色のシャツを着て行くようにすべきである。
                 2016年2月下旬

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                 「簡単じゃないんだ」
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        etc………
写真:すべて(www.123rf.com
 
男はバーのカウンターに座ると、「スコッチをダブルでくれ」と注文した。
 
スコッチを注ぎ終わったバーテンに「いやぁ、参ったよ。腹を立てた亭主が俺に『女房と寝るのを辞めろ、さもないとお前をぶっ殺す』と脅迫状を送って来たんだ」と嘆いた。
 
「浮気を辞めれば一件落着だろう」とバーテンは言った。
 
「いや、それが簡単じゃないんだ。奴は脅迫状に名前を書いていないだ」。
と言って、ぐびっとスコッチをあおった。
 
 お後がよろしいようで……・

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