アメリカ便り青グラデーション

おじいちゃん、戦争中日本人は酷いことをしたんだね(中)
          いわゆる「従軍慰安婦問題」である

          なぜ日本は「河野談話」を否定できないのか?
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               写真:(www.nicovideo.jp)
 なぜ日本は「河野談話」を否定しない、或いは否定できないのか、色々調べてみた。
すると、目良浩一著「アメリカに正義はあるのか、グレンデール「慰安婦像」撤去裁判からの報告」(ハート出版)に出会った。目良教授はこの書のなかで、「慰安婦の真実は実に米国にとっては不都合な真実なのである」と主張している。なるほど一理ある説で、米国が日本側の「性奴隷説否定論」に反発する理由を明らかにしている。
そこで、この書に記された、「ルーズベルト神話と慰安婦性奴隷説」を下記に掲載したい。
なお、目良教授の経歴は下記の通りである。
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                 写真:(www.genron.tv)
【目良浩一(めら こういち)1933~2019、東大大学院建築科卒、プリンストン大学院とハーバート大学院経済学部卒後、筑波大、ハーバード大学院、UCLA(南加州大)等で教鞭をとる。博士(都市地域計画学)、2014年、ロサンゼルスに「歴史の真実を求める世界連合会(GAHT)」を設立。米国初の慰安婦像が米国グレンデール市に建設されようとした際、加瀬英明、藤岡信勝、藤井厳喜、桜井よし子、秦郁彦らの支援を受けて、慰安婦像撤去訴訟に起こしたが敗訴。同年、日本の「朝日新聞を糺す国民会議」に参加した。】

      ルーズベルト神話と慰安婦性奴隷説(目良浩一)
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                写真:(www.gettyimages.com)
慰安婦問題というのは誰が考えついたのか不明であるが、アメリカにとっても都合のよい話題である。
「東京裁判」で明らかになったように、アメリカにとって日本は邪悪な国でなければならない。 東京裁判では、連合国側によって、日本国は軍部やほかの少数の政治的な指導者によって、独裁政治に走り、周辺の弱小国家を侵略して巨大な帝国を築こうとした侵略国家であると規定されている。
そして、慰安婦問題は、この構想にぴったりはまり込むのである。日本の軍隊は周辺の国の女性を奴隷のように扱いながら、他国への侵略を進めた、と考えると、東京裁判史観に適合する。よって、アメリカとしては、実は歓迎するべき事案なのである。

 しかも、この話はよく出てくる「フランクリン・ルーズベルトが太平洋戦争を起こした」という「米国責任論」に反撃するための道具にもなる。ルーズベルト大統領は戦略家で、大多数のアメリカ人が国外の戦争にかかわるのを躊躇していた時に、日本に真珠湾を攻撃させることによって、アメリカの世論を一夜のうちに逆転させ、第二次世界大戦に突入した、という説である。
さらに、日本が騙し討ちをしたと唱えて敵愾心を鼓舞し、米国を勝利に導いた、米国にとっては偉大な戦略家であった。

 しかし、その代わりに彼は、残忍なことを幾度もやっている。「米国責任論」によれば、パールハーバーに日本の攻撃が来ることを知りながら、現地の司令官に通知せず、自国の海軍の兵士を多数犠牲にしたし、それでなくとも、日本の都市を爆撃して、一般市民を多数虐殺し、さらに原子爆弾の製造も指示している。
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              写真:(www.manzanarmedium.com)
さらには、戦争開始直後に12万人の米国西海岸の日系人を強制収容所にいれて、彼らの資産や職業を略奪した。彼はこれらの荒療治をすることによって、米国の経済を恐慌から救い出し、戦争に勝つことによって米国を世界の覇者に仕立て上げた。
真珠湾の真相はいまだ極秘とされているので、「米国責任論」には決着がついていないが、米国では今もなお、彼は英雄であり続けている。たとえ「米国責任論」が確定したとしても、その地位が崩れることはないであろう。
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                写真:(www.soshisha.com) 
 この国家的英雄の名を汚す可能性のあるのが、第二次世界大戦における米国の戦争勃発責任論である。最近では、この責任論がかなり台頭してきており、ハーバート・フーバー元大統領の回顧録「裏切られた自由」などが読まれている。このような米国戦争責任論に鋭く対抗するのが、実は慰安婦性奴隷説なのである。そのため、日本の戦争責任論が消えかかった1990年代ころから、この話題が脚光を浴びるようになり、アメリカの指導者層が、これに飛びついた。
このような理由から、慰安婦の「真実」は実は米国にとっては「不都合な真実」なのである。だからこそ、アメリカの本格的な日本史の学者までもが、慰安婦性奴隷説に与していると、解釈できるのである。
2015年にアメリカの代表的な日本史に学者189名が連名で、日本側の性奴隷説否定論に対して反対意見を表明した。そこには、ハーバート大学の学者もコロンビア大学の学者も名を連ねている。
 真実に基づく歴史を追求しているはずの学者が、そのような傾向を持っていることは驚くべきことであるが、彼らにとっては、歴史の真実よりも政治的な都合の方が重要なのである。英語の文献が圧倒的に足りない。しかし、こうした米国の都合だけで物事が決まった、と結論づけるのは誤りであろう。

 一方の日本人たちの怠慢も指摘しなければならない。日本の保守層は、全体的に内向きである。国内の意見を動かせば、それで満足する傾向がある。そして国外に発信する必要性をあまり感じていない。
外国に発信するためには、外国語で発信する必要がある。中でも英語で発信するのが最も効果的である。(後略)

      河野談話は対日本の重要な武器になり得る
 目良教授がいみじくも指摘した、2015年のハーバード、コロンビア大学等の日本学及び歴史学者189名が、連名で日本側の「慰安婦性奴隷説否定論に反対意見を表明したことは、慰安婦の真実が、米国、特にルーズベルト神話信者にとって「不都合な真実である」ことを浮かび上がらせた。
 さらに、慰安婦問題は、「ルーズベルトが太平洋戦争を起こした」という、米国責任論に反論するための反撃材料になり得ることに、学者たちは気づいた、という訳なのだ。
こうして、「慰安婦問題」は朝日記事や河野談話取り消せば収まるどころか、わが国にとっての「難問」、アメリカの一部の者たちにとっては対日本の「重要な武器」になり得る、一段上の政治問題になって仕舞った。

 我が国にも河野談話を見直す動きはあった。第1次安倍内閣が平成19年に「強制連行説」を否定する答弁書を閣議決定している。平成26年には第2次安倍政権下の有識者検討チーム報告書が、談話に強制性の裏付けはなく、韓国の修正要求を入れた日韓合作だった、と明らかにしたが、談話自体は破棄されていない。政府関係者は「強制連行説は否定しつつも談話を継承したのは、「見直せば韓国や米国から突っ込まれる恐れがあった」と解説して見せた。この発言は見事に目良教授説を裏付けている。

 そんな時、目良教授の近くのグレンデール市に米国における最初の「慰安婦像建設案」が起こった。この反対運動の先頭に立った同教授だったが、奮闘むなしく、銅像の建設は止められなかった。その後、教授たちは、像撤去を要求する訴訟を起こしたが、敗訴した。

 ここで、「慰安婦問題」の国際的拡散を時系列に見て行こう。
1991年フェイク・メディアの朝日が初めて、「吉田の慰安婦狩り」を紙面で紹介。
1992年、朝日、慰安婦への軍関与資料を紹介。(後に誤報だったと判明)
1993年の河野談話発表によって、慰安婦問題は国際的関心を集めた。
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              写真:(www.newsphere.com)
1996年、スイスのジュネーヴで開かれた、国連人権委員会にラディカ・クマラスワミが通称クマラスワミ報告を提出。主に家庭内暴力に関する報告だったが、付属文書で「慰安婦問題」を取り上げ、慰安婦を「性的奴隷」と規定し、日本の行為を「人道に対する罪」、奴隷制度を禁じた国際慣習法に違反する、と規定した。さらに日本は教育課程に「この歴史的事実」を含めることを勧告した。
007.apjjf.orgComfort Women supporters in LA with Ms. Lee

                写真:(http://apjjf.org/)
2007年7月30日、米連邦下院は、カリフォルニア州選出の日系3世マイク・ホンダ(民主党)の主導する、「慰安婦に関する日本非難決議案(下院決議案第121号)」を可決した。ホンダは親韓派の政治家として知られ、コリア・コーカスのメンバーでもある。
ホンダが日本非難を思い立ったのは、1996年のクマラスワミ報告の影響を受けたから、と言われている。慰安婦を立てたクレンデール市はこの決議案が可決された7月30日を市の「慰安婦の日」と宣言している。
当時の日本は第1次安倍内閣の時期で、首相は訪米した際、このホンダの提案を深く懸念し、それを廃案にするため、婦女子の強制連行はなかったと明言し、日本非難決議に強い反対を表明した。

2013年7月30日、米国内の最初の慰安婦像の除幕式がカリフォルニア州グレンデール市で開催された。なぜ、グレンデール市に慰安婦像が出来たのかは、当市に韓国人が多いこと、同市の行動力のある韓国系の職員の熱意が実ったことが原因とされる。その上、韓国は本国政府、在米公館、韓国系二世、在米韓国人が一致協力して像建設に邁進したことが、像建設が可能になった、理由だろう。
 この点が目良教授らの像設置反対運動に参加した日本側が、New Comerと呼ばれる在米日本人だけだったこととの大きな違いだった。

 さて、同市は7月30日を「慰安婦の日」と宣言したが、それとともに、問題は記念碑の基礎になっているコンクリートの中に埋められている石版である。そこには下記のような文言が英語と日本語で彫り込まれている。
1. 日本帝国の軍隊によって1932年から1945年の間に、朝鮮、台湾、日本、フィリピン、タイ、ベトナム、マレーシア、東ティモールおよびインドネシアの住居から狩りだされ、性奴隷にされた20万人以上のアジアとオランダ女性を記念して。
2. さらに、2012年7月30日にグレンデール市がこの日を「慰安婦の日」と宣言したことと、2007年7月30日に米国国会の下院が、日本政府がこれらの罪に対しての歴史的な責任を承諾することを要望した、下院の決議121号が採択されたことを祝して。
3. これらの非道な人権侵害が将来において再起しないことが、我々の心からの願いである。
 これを読んで怒りを覚えぬ日本人はいないだろう。目良教授たち、在米日本人はこの文言を読んで、何とかしなければいけない、と感じたのは当然だった。
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                          写真:(www.denshodigitalrepositiry.com)
 しかし、日本側もやられっ放しではなかった。グレンデール市に慰安婦像が立った同じ2013年の7月、ロサンゼルスの南のオレンジ郡・ブエナ・パーク市で同様の慰安婦像設置案が提出された。この提案に対し、同市在住の朝鮮戦争退役軍人の日系アメリカ人、ロバート・ワダ氏が強烈な反対意見を提出した。ワダ氏はこう述べた。
「我々は韓国が自由で友好的な国であり続けるために戦ったのであり、韓国が日本を含む我々に屈辱を与えるために命をかけて戦ったのではない」。
 これを受けて、市議会は3対2で銅像設置案を否決したのである。因みに、米国の20万以下の市議会は4名の議員で構成され、議決は市長を含む5人で行われる。
この事実は、この種の「戦い」には日系アメリカ人諸氏の助力が大きな力になることを教えてくれる。
 さて、次回は、もう二度と「おじいちゃん、戦争中日本人は酷いことをしたんだね」と言われないために、我々に何が出来るのか、出来ないのか、考えてみたい。(続く)